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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

人を動かす仕掛けの話

 マネジメントの話、というとちょっとニュアンスが異なるのかもしれないですけど、誰かに何かをしてもらうにはそれなりの準備、きっかけを用意しなくてはならないと思っています。人が多くなれば多くなるほど意図的に作らないといけないと思う。

 

 たとえば「頑張る」「やる気を出す」ということをする場合。

 

 一人とか、自分だけだったら、言葉を発したり、意識をするだけでもできるかもしれない。それがちょっと厳しいなってなったら報酬を用意する。もしくは頑張らないことのデメリットを用意する。

 複数名だと途端に、意識を合わせるのは大変になります。例えば学校の先生なんかが、クラスが取り組むべきことにやる気が見られない場合「お前らほんとにやる気があるのか!」と叱責したりする。

 このとき、ベーシックな回答方法は「やる気あります!」ですが、これは50%本当で50%嘘です。

 やる気があるかどうかは点と線で考える必要があります。ふつう、人のやる気は点です。あるミッションを頑張るという場合、このミッションを遂行する期間中ずっとやる気まんまんな人はそうそういません。人の集中力はそこまで続かない。だから、それぞれが何らかのきっかけもしくは自発で、瞬間的にやる気を出すわけです。

 線で考えると、やる気を出しているポイントと出していないポイントが出てきます。でもまったくやる気を出さないわけではなくて、どこかでやる気が出ているなら概ねその個々人は「俺はやる気あるよ」と自己評価をします。

 けど、実務的にどうか、というと、個々が単発でやる気を持っていても集団になるとそれだけではうまく働かない。

 綱引きで考えれば、全員のやる気=綱を引くタイミングが同時にオンにならないと、それぞれが点で綱を引いたって絶対に強い力は出ないわけです。そのために用意されているのが「オーエス」という掛け声で、この掛け声が冒頭で挙げた「準備」「きっかけ」にあたります。

 

 だから複数名でなにかをしようとしたとき、それがうまくいかないなら準備したものがうまく働かなかったか、もしくは準備自体がなかったかのどちらかだと考えることができます。

 これを個々人に任せてうまくいくというのはありえないと思います。もしそれが「いや、それでみんなの気持ちが一つになってうまくいくこともあるんだよ」っていう人がいるとしたら、それはただその人が、そこに用意されたか、もしくは何らかのきっかで発生した準備やきっかけを見落としただけだと思う。

 準備をきちんとしないで、試行回数だけ繰り返して当たりを拾おうとするのは途方もない作業だと思います。いわゆる脳筋プレイ。

 

 だから、準備、複数名を同時に動かすための具体的な準備が必要なのだと思うんです。

 ……とここまで書いて「うん、そうなんだよ、それは大事なことだ」と思う人がいたとするなら、それは結局この文章そのものがその「準備」のことについて考える「きっかけ」であることに気づくことができたかどうかというお話になります。これは僕が「準備」したものです。

 そういう準備、きっかけ作りを意識的にやって、出来不出来を構成員の資質に転嫁しないことが、マネージャーの役割なのかな、と考えています。

 

 んで、そういう教育って義務教育プラス高校までで一切なかったな、ことによると大学でもなかったなと思っています。クラスがきちんとできないことについて個人はすごく責任を負わされたし、リーダーは単に責任を一手に負わされるだけの面倒役だった。

 だからこれが日常的に身につかないことは仕方がないとは思うんですけど、そういう視点を持った人が周りに増えたとするなら、いろんなことはもう少し楽になるだろうな、と思っているのでした。