公私ともに人になにかを説明したり、しゃべる場面が多いんですけれども。
大事な場面ではとくに「内容じゃない部分」に気を遣うようにしています。
ことばは意味や文脈を伝えるメディア、みたいなことを言いますが、直接意味の乗っていないところにこそ、なにかを伝えるのには影響がある。
たとえば、道案内。目標地点Aに行くためには、
「ここからまっすぐ行って3つめの信号を左に曲がり、しばらく歩くとセブンイレブンがあるので、セブンイレブンの角を右に曲がり、3ブロック目にあります」
と伝えるところを、
「ここからまっすぐ行って、3つめあたりの信号を左に曲がるとするじゃないですか、そこからしばらく歩くとたしかコンビニあるんで、そこんところを右に曲がるといいと思います、そこから3ブロックくらい行くとあったと思いますね、たしか」
って言われたら、意味は分かるけどぼやぁ~っとする。たどり着けないことはないと思うけどね。
で、この後者のほうの言いかたを、人はたびたびしてしまうものなのです。
なぜそうしてしまうのか、というのは人それぞれだと思うんですが、個人的には「(無意識的に)責任を回避しているから、相手に選択を委ねているから」だろうか、と思っています。
そういう言いかたが悪いわけではないけど、誰かに何かをしてもらうときには、やっぱり効果は下がります。
なにかをしてもらわないといけない、効果をちゃんと確保したい、そういうときには、ぼやかす言葉を意識的に排除して、自分の意志をはっきり示すことが必要。
それが意識できないと「伝えたい言葉+曖昧にする語尾」で発話してしまったときに起こりがちな不都合というか、不和があって。
発話した本人は「伝えたい言葉」は発したつもりだから、自分で何を曖昧にしたかの意識がなく「きちんと伝えたのに、どうしてちゃんと聞いていないのか、ぷんすか」というふうに感じる。
一方、受け取った側は「曖昧にする語尾」によって、もともと発された言葉の重要性のレベルを下げて受け取るので「なんであんな曖昧なこと言ってたのに、あの人あんなにぷんすかしてるの?」と思ってしまう。
自分が自分の発話にそれなりに気を遣うことが多いせいか、他人に「なにかをしてもらう」ための場面で、曖昧な喋りをしていると「それじゃ伝わらないよなぁ……」とひっそりと思っているのでした。
意識的に直そうと思わないと、なかなか直らないものなので、自分の言うことの効果を高めたい人は意識的に直すことをお勧めします。