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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

それは自分のことが好きなだけじゃないのかという話

「バキ」(死刑囚編)の花山薫が、彼女とイチャついてるバキに対して、

「その子が欲しいのか、女が欲しいのか」って言ってるシーンがあって、それにたいして彼女が「あたしに失礼だ」と怒るシーンがあるんですけど、これすごい面白いやりとりだと思うんですよね。

 

世の中にはなんと「男」と「女」がありまして(あとそのほかにいろんないろんな性があるんですがここでは省きます、ごめんなさい)それに関するさまざまな言説、そう例えば最近では「恋愛工学」とかそういうのとか、もしくはあらゆる「恋バナ」みたいな類にはいっぺん分類として、上記の花山薫の問いをかけるべきではないでしょうか。

 

それでずいぶん整理できると思うんです。少なくとも「その子と付き合いたい」と「異性と付き合いたい」はだいぶ方法論が違う。もっと分けると「誰かを好きになって付き合いたい」と「誰かに承認されてる自分が好き」は違うし「精神的に気を許せる仲」と「セックスする関係」もたぶん(ここらへんにくるとだいぶ層が違ってくるけど)違うはず。

 

それを一緒くたにして「異性と付き合うための」方法論って、あれですよ。なんか似てませんか、あれと。

そう、エントリーシート送りまくってたくさんの不採用を出す就職活動みたい。

そんな中で「うまいこと対策したり」「その方法論に適していた」人間ってのはいくつかの内定を得るわけですけど、それはそれでマッチしているかどうかとは別の話なわけで。

と考えると、こういうテクニックってやっぱりマッチポンプというか戦争経済というか、煽るための言葉なんだよなぁ、という感じがしてくると思うのです。

 

話題のタネにはなるからそれはそれで別に構わないんだけれども。

 

構わないんだけれども「この人は誰かのことが好きなのか、それとも誰かのことを好きな(または誰かの承認を得る)自分が好きなのか」に注目して見るのは、思ったよりその人の性質がはっきりと表れるので、面白いですし、場の人間関係を読み解くカギになると思っています。

 

いわゆる一般的な(対象を限定しない)恋愛テクニックみたいなやつって、往々にして「自分のことが好きな人」を相手どったときの考え方のような気がしてます。だから、その論に違和感を覚えるひとは、おそらく「それをされても別に好きにならない」と思うのかもしれないし、そもそも「相手が自分のことを好きでない」ことを気にしているのかもしれない。

 

「それは自分のことが好きなだけじゃないのか?」「それは自分のことが好きなやつにしか効果がないんじゃないか?」というのは検証してみるともやもやを整理できるんじゃないでしょうか。

 

なにかと「一般論」はもう少しうまく細分化して考えてみたいものです。