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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

フリーランスと人付き合いと利害の話

慣習とかは、ある時代、ある時代ある場面ある事情に置いて意味を持っていたからこそ、慣習として成立したと考えることができると思います。

てことは、慣習は問い直されなくてはならない。影響の規模や効果、コストを考えてそれで妥当なら存続すべきだし、妥当じゃなければ積極的に廃止すべき。

ただここで「べき」から先になかなか進めないのは、そもそも慣習というのはこういう影響や規模や効果なんか計算しなくても、一定の成果を挙げるために設計された高度な技術だからです。「考えなくても、慣習を繰り返せば想定した効果を生む」という慣習にとって理想的な環境になっているからこそ、その慣習を取り除くことが難しくなる。

曰く、最近の若い者は。曰く、昔からの伝統が。曰く、当然の常識として。

みたいな言葉で、慣習は維持されるわけです。

 

と、いう前段を置いといて。

 

twitterだと思うんですけど「人付き合いが嫌だからフリーランスになりたい人、フリーランスのほうが人付き合いずっと必要だよ」みたいなことを見まして。元のツイートを見つけられなかったのでニュアンスしかお伝えできないのですけれども。

 

なんだかそれを観たときに「うーん?」と思ってしまったのでした。

じゃあ人付き合いが苦手な人はそもそもどうすればいいのよ? ということもあるし、自分もフリーランスになるかどうかは別として「めんどくさいな、人付き合いの仕方くらいはまわりの環境から放たれて自分で決めたいな」と思ったからです。

 

ということで言語化をしますと、結局のところフリーランスになったとき「人付き合い」は「利害」と直結するので、そうすると辛くないんじゃないかと思うのです。

辛くない、というよりかは、辛さが緩和されるということ。

仕事上の人付き合いは「利害」と堅く結びついているなら「すべき理由」が明らかです。すれば稼げる、しなければ稼げない、という択一、またはその二点のあいだのグラデーションがあるなら、それは単純に選択の問題。

結果として、人付き合いや人格を前に出して誰かと接することは増えるでしょう。生きるために。

 

じゃあ避けたい「人付き合い」ってなんなんだ? というとつまり「利益もないのに感情をやりとりする」ということが面倒なのです。

好きでもなく、それで利益があるでもなく、生きるためでもなく、しかしそれでも「人付き合い」を要請されるとき、時間とお金と、何より感情を払って残るものはゼロです。

利に繋がるという期待がゼロに近い時、どうやってこの払ったマイナスを埋めるか?

「僕(と僕以外の参加者)はこの会合がとっても素敵なことだと感じるんだ!」

と、考えることによって埋めてる場合があるんじゃないでしょうか。(これに巻き込まれるのもすっごく嫌です)

 

だから、雇用されてる状態からフリーランスになると人付き合いがかえって増えるよ、というのは的を射ているけれど、雇用されている人の言う「人付き合いが嫌だ」っていうのとは違うことだと思うんですよね。

 

で、前段の話に戻りますけど、この「人付き合い」の慣習は一時期は確かに利益があったし統制にも利いたし、トータルでプラスだったんだろうなと思うんです。出世するとか、内部のコミュニケーションが円滑になるとか、そこらへんを我慢しても将来の期待値が大きいとか、上司がおごってくれるから金銭的コストがゼロだとか。

でもその条件が変動して、マイナスだなって思ったら積極的に廃止す「べき」ものに変わっていくと思うわけです。

 

「人付き合い」が嫌な皆様、ともに頑張りましょう。