paper-view

ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

サービスとサービス精神は切り分けて考えたいよねっていう話

サービスとサービス精神を切り分けられない人がかなりいる印象を持ってます。

というか自分の親ですらサービス業とはサービス精神を発揮すべきだと思っているようで、ちょっとぶっきらぼうな対応をする飲食店とかに行くと「サービス業としての自覚が足りない」くらいのことを言っていたりします。んなことねーだろ、飯は出てきたんだから、というのが自分の感想です。

 

あとは自分の言葉の認識を書いていくことになります。似たようなお話前に書いたような気がしなくもない。

 

サービス業における「サービス」とはモノ/サービスの分類を指しているはずです。つまるところ、形が残らない財ということで、この辺はちゃんとwikipediaとかでも書いてあります。

 

サービス - Wikipedia

 

サービスの中核はたとえば飲食店であれば「ごはん」、医療であれば「診察とか治療とか」、公的機関であれば「公共サービス」なので、これが提供されていればサービス業はきちんと形を成していることになります。サービス精神=提供者の態度が良いことは必須の要件ではない。

 

しかし実態として、多くの「サービス業」は「サービス精神」を発揮してます。理由は、サービス精神を発揮することにメリットがあると認められるからだと思っています。同クオリティの飲食サービスを提供するA店とB店があった場合、A店のほうが接客が丁寧だと、A店のほうがお客さんを確保できるでしょう。

 

商業的に得をするとなると「サービス精神」は標準装備されていくようになります。積極的に採用されちゃうところの理由は掘り下げると大変なのでここでは「得だ!」の一言で済ませてしまいたいと思います。

標準化されていくと、それはだんだん「当然」のものとして受け入れられていくようになります。サービス精神を発揮していないお店が異端ということになっていき、冒頭に紹介したような僕の親の態度なんかが観られるようになります。

 

でも別に、サービス精神は発揮しなくてもいいのです。お客さんがひっきりなしに来るような名ラーメン店なら、ぶっきらぼうでも丁寧に接しても稼ぎに差はありません。それどころか、サービス精神を発揮した分疲れたりしますので、サービス精神を発揮すると損、くらいになります。

状況によりますが医療などの専門分野もそういうことが起こりやすいかなと思ってます。公的サービスに至っては独占状態です。(というよりも、商業にはできないサービスだから公から提供されている)そうなると、サービス精神は発揮するだけコストがかかる。

 

でもサービス精神は発揮されてますよね、たいていの場合。僕は「発揮されることが当然だという社会になっていると、発揮しない方が面倒が多い」からだと解釈してます。「態度が悪い」ということを指摘されたりすることでとられる時間やコストの高さはものすごく重たくなってきてる。飲食店も食べログとかにそういうこと書かれると本当に面倒だろうと思います。

 

ということで、サービスは提供されてるのに、サービス精神が発揮されていないからサービス業としてちゃんとしてない、というのは、的外れな指摘だな、というように思うし、サービス業にサービス精神を求めるのは的外れな要求だと思うんですよね。

ということで、サービスとサービス精神を切り分けできない人は結構多いんですけど、ちゃんと区別したいよねというお話でした。

 

で、ここらへんの問題を掘り下げていくと出てくる諸問題は「感情労働」っていう名前がついていたりします。さっきのwikipedia「サービス」の項の最下段に関連項目としてリンクされているので興味があればご参照ください。