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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

読解力と読解が合ってたかどうかは別にしても、読解力があることは大事だよねという話

いわゆる「考察」みたいなものが好きでして、実はこれはこうである、これはこうなっている、みたいなのを、物語だったりとか歴史だったりとか言葉だったりとか諸々の媒体について知っては「へぇぇぇ」とか思って呑みの席の話のネタにしたりしてます。

 

で、僕もそれなりに長いこと日本語や各種媒体に触れてますので、読解力が「あるほうだ」と思ってはいるけれど、それでも読解力が優れている人と会うと自分とは全然違う、またはより深い考え方をしていて「へぇぇぇ」とか思って(ほかの人との)呑みの席の話のネタにしたりしてます。

 

ただこれも、正解かどうかはわからないのです。結局、言葉の由来に関するものとかであれば、それは歴史上確認しようのないこじつけかもしれないし、成否を判定できない。歴史も同じく。物語だったら、作者が存命であったとしても、その作者が「そうなんですよ!」と言わなければ確認できないし、それは言うなよ野暮じゃんか! とされてしまうと想像の世界で終始していくしかない。

 

でもこの「何かの刺激からどのくらいの情報を一度に引き出して、他の情報と関連付けて筋を立てられるか」って能力はものすごく大事な能力だと思うんですよね。

なんでかっていうとこれはひっくり返したらそのままその人の「キャパ」だから。ひとつの刺激からたくさんの情報を取り出すことができるほど、沢山の情報を同時に保有して吟味して組み合わせる能力が必要になるわけで、逆にいうと、読解力のない人ほど

「○○に決まっている」

「どうせ○○なのだろうな」

という言葉を使って情報を(自分以外をその原因として)狭めていく。

でも狭めるってことは、当然狭めた分だけヒット率が下がるか、もしくはその人の中ではヒットしたんだよっていう処理をするしかなくって、結果としてはうまくいってない。

 

狭めずに保持し続けるとでは当たるのかっていうと、これはこれで当たらない。こうかも! もしくはこうかも! って思ったことのだいたいはことごとく外れます。刺激一つに対しての考察はそういうものだと思う。

が、複数の情報が現れると話は別で、今度は手札どうしの組み合わせで精度を高めることができるから、こういう時にたくさん可能性を保持できるほど強くなるわけです。逆に狭めてしまうと、可能性の掛け算そのものの組み合わせパターンが減るから、精度の上げようがない。

 

と、いろいろ書いたんですけど、まぁこうやって可能性を拡げて考証してみて「当たった」ときの面白さったら、というお話なのです。当たったら楽しいし、キャパも拡がって気持ちに余裕も出るし、そういう意味で読解力ってすごく大事だと思うというお話でした。