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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

それはゾーニングの議論には入らないだろうか?

ゲーム業界に大きな事件があったことによって「はちま」や「刃」に関することが色々と出てくるようになりまして、ちょっと思った事があったので書いておきます。

 

いちばん最初に強く強く書いておきたいのは、上記のようなサイトを擁護したいとかそういうつもりは一切ありません。ニュースと思ってクリックしたリンク先が上記のサイトだったときには「しまった」と思っているのが常々です。

 

ということを述べたうえで「はちま」や「刃」を嫌うだけでなく、そこへのリンクをツイッター上で生成してしまう人、またはそれをRTしてしまうような人についても嫌悪感を述べるようなツイートを、それなりに数見かけています。

 

その感情は理解できます。自分とてそのリンクをクリックしてしまったときには「うーん」と思うし、その人がどんな気持ちでそのリンクを生成したのか、もしくは特に何も考えてはいないのか、について思いをはせることもあります。

が、これを憎むのって、つまるところ「フィルタリング」ができてない自分の問題だと言えないだろうか。

 

インターネット上では様々な情報が飛び交い、それに対する基本的な防衛方法はフィルタリングによって成り立っていると思います。対策のソフトウェアを入れる。やばいと思ったら見ない。機能を活用して最初から表示されないようにする。

これを「有害情報はネット上から駆逐せよ!」としてしまうと、それはそもそも不可能なことだけれども、そういう思想はインターネットの面白さも減らしてしまう。だから「フィルタリングで、各自自分の不快な情報はシャットアウトするようにしようよ」というのが基本的な思考だと思うわけです。

 

では上記のようなアフィリエイトニュースサイトもそういった方法でフィルタリングをすべきだし、フィルタリングできなかった部分は「フィルタリングできなかったこと」についての対策をすべきで「発信者」を嫌うのは違う、ということにならないだろうか、と思うわけです。

 

言い換えるならば、街中にある本屋・コンビニの成年コミックを規制せよという言葉と似てしまったりはしないだろうかと思うわけです。

もちろん、街中にある本屋・コンビニはゾーニングがなされています。そのうえで「そういう情報もある」というところから、自分の意志で「フィルタリング」して排除する。

インターネットの場合は情報は珠玉混交だし、いろんな発信者が居る。でもその取捨選択権はすべて自分にあるはずだし、情報の選別方法も多数に用意されている。これがインターネットだと思うのです。そこから自分の意志で「フィルタリング」する。

 

確かに気持ちのいいものではない情報に出会った時「なんでそんなもの発信するんだよ」と思うことはあるけれど、それは自分のフィルタリング技術で対応するのが、インターネットの基本志向ではないかなぁ、と思うのでした。