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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

PRESS STARTの「最終」公演は何を意味するか

PRESS STARTが10周年にして最終公演とのことです。

PRESS START

ちなみに僕は2009年の公演を見に行っています。それ以外は行っていないかな。

10周年にして最終公演ということですが、端的に「有終の美だな」と思ってしまいました。最近はこういうちょっとじじくせえことを考えることが増えています。自戒せよ。

ということで、PRESS STARTの終了は、どういうことなのだろう、ということをきちんと考えてみたいと思いました。

 

ゲーム音楽を演奏するという希少性が既に失われているよというのは以前に書いた通りです。

ゲーム音楽演奏のフロンティア時代は終わってます - paper-view

 

で、時代は大型資本、プロ公演がお金を取る演奏会に突入したよ、ということを話したんですが、どうもこういうところを見ると、更に加速して、プロ公演もひとつのピリオドを迎えているのかもしれない。と、思っています。

 

とにもかくにも、PRESS STARTの公演は「幅が広」かった。

これは企画者の嗜好がそのまま反映された形なのかと思っています。つまり「ゲーム音楽」というものを広大なジャンルのままとらえ、広めようとする。

が、それは恐らく支持を得づらくなる。今やゲーム音楽の演奏はオムニバスと言う名の任天堂orFFDQ集中か、もしくはタイトルごと、メーカーごとに集中したものが主流になっています。これが一つの市場の選択なのだ、といったところでしょうか。

 

では「ゲーム音楽」全体はどうなっているのか。それは結局のところ「ゲーム音楽」の演奏の希少性が失われ、同時に、広い幅でゲーム音楽をとらえようとすると、演奏会は「散らかる」ということが起こるのだと思っています。

 

ゲーム音楽の演奏が流行って、広まって、ゲーム音楽に市場が見いだされ、希少性が失われ、ゲーム音楽、という括りはやや広すぎる括りになってしまった。それはなかなかに面白い現象ですけれども、ちょっと寂しいような感じもします。

 

ではオムニバスな演奏会はもうだめなのか、というと、それはそうではなくて見せ方の問題なのだと思います。けれど、そのためには通常の演奏会を行うよりもものすごく各所への気配りがめんどくさい。そして、ゲーム音楽そのものが必ずしも主役にならない可能性もある。これは「表現をする」と同じくらい大事である「開催する」「お金をとる」という副目的にとって非常に足枷です。

 

と、なると今後もおそらく、ジャンル細分化は進むのだろうなぁ、というのが、今のところ考えている事でした。