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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

ラブライブ!school idol movieの評価についてきちんとかんがえましょう(ネタバレあります)

先日ちらっとお伝えしました映画版ラブライブ!についてですが、何となく頭の中で考えたことが固まった気がしますので、ここできちんと文章化しておこうと思います。

 

なんでかっていうと、結構はっきり身の回りを見渡しても「よかった」「よくなかった」が分かれたのを見たので、こいつぁひとつ書いておかねばなるめぇ、と思ったからです。

 

最初に宣言しておきますと僕は「よかった」と思っていて「よかった」派と「よくなかった」派を両方肯定しようと思っております。

 

僕の感覚でラブライブの映画ってなんだったの、ということを端的にまとめますと「6つの新規曲のMVにお話が付随したもの」であり「これから起こるかもしれないことにワクワクするための映画」です。よって「よくなかった」と思った人は、ぜひ上記二点を受け取ることができたかどうかを考えていただきたい。

 

映画として面白かったか? という評価がどういう意味合いを持って話されるべきか、ということまで掘り下げると面倒なので割愛するとして「おはなし」は、それを切り取ればそりゃあ、僕にとって特筆して褒めるべき点はありませんでした。これは大方の「よくなかった」派の論調に同意します。どうも繋がってない感じのお話とか、トンデモなことも起こるし、解決しないことはいろいろあるし、キャラそれぞれがきちんと描かれていたかというとそこも議論の対象です。

んで「よかった」派はこの土俵で議論はしないほうがいいでしょう。ここで戦おうとすると「μ'sがかわいかったし、音楽はよかったし、いいじゃない!」ってなふわっとしたものに落っこちてしまいがちだからです。

だからちゃんと考えてみましょう。この映画は真面目に見ると「6本分のMVをお話でつないだもの」ですよ。主体はどう見ても「MV」のほうです。そりゃあ、μ'sどうするとか、ニューヨーク行ってどたばたとかいろいろあるけど、それって全部「サブ」だったでしょ。っていうか、アニメ本編だって、曲と曲の間のお話が長いけど基本的に「MV」が一番のハイライトじゃないですか。

 

そう考えるとしっくりくると思うんですよ。企画や内容づくりの最初に「MVを流します」が来てたら、TVアニメも映画も、その途中の諸々のトンデモ要素が非常に呑みこみやすくなっていくと思います。

でも、TVアニメは、お話としての部分がそれなりに時間をとって、起承転結を付けることができたんですよ。だからμ'sのストーリーとしてちゃんと成立してて、その結果、視聴者に自然な形で「MV」を見せることができたんです。

 

じゃあ映画でもそれできるはずじゃん、ってそれは正しい。では「6曲分の新曲はとりあえず内容決まってますので、MVに繋がるようにしてお話を作ってください」「全体の尺は90分です」「テレビ版の後の話です」「μ'sの解散はちゃんとしてください」このくらいの縛りがあったとして、どういう話組みますかね? だと、結構キツいんじゃないかと思うんですよ。

 

では映画は何を目指したのよ、もしくは何の役割を担っていたのよ、MVだけか、というとそうじゃなくて「6thライブの布石」であり「二次創作者への燃料」であり「ラブライブ! というシリーズへの土台」だと思ってるんです。

5thライブ中、映画予告映像でAngelic Angelが流れたあと、メンバーが「これ、私たちやるのかな」って言うんです。そんで、映画を観た人達は映像を観て「これ、次のライブで見れるんだろうか、この扇子の舞いが」って思うわけです。各学年の曲も。大量のモブと共にやった曲も「実際にモブをたくさん用意して舞台上を埋めるのか」「はたまた客に振付を伝えてみんなで踊れる曲なのか」「その中にラブライブ! サンシャインのメンバーが混じってたりして」とか、そういう想像で盛り上がることができるわけです。一番最後の曲なんて「うわー舞台さんこれ再現すんの大変だろうなぁー」って思って観てたよ。同時に「再現された舞台観たいなぁー」とも。

 

二次創作者への燃料について。ラブライブ! と比較するとしたら、やっぱり「アイマス」だと思うんです。生身のアイドルではダメ。なぜなら、生身のアイドルは、そのアイドル自体が物語を作りつづけることができるけど、架空のアイドルは受け手の二次創作がないと物語(広義のですよ)は閉じるだけになってしまうから。

アイマスはどうやって盛り上がったかといったら、それはやっぱりニコマスだったりの二次創作が大きな爆発力を作っていったわけです。そしたらラブライブだってそう。これからAngelic Angelを誰より早くコピーしてやろうとか、映画で見たキャラのシチュエーションから二次創作を産みだしてやろうとか、そういう風に考えたらわくわくできる要素がふんだんに詰まっているんですよ。ぜひその観点で観ていただくといいです。それぞれのキャラに対して、ちゃんと「二次創作者への燃料」が提供されてますから。

 

ほんで、未消化の部分は、以降の「ラブライブ!」への布石(かもしれない)ってことでいいじゃないですか、と思っています。あの女性シンガーは戦隊ものにおける「アカレッド」かもしれない。

映画の最後で提示されたものは、μ'sという物語の終わりではないです。μ'sという物語はテレビ版でもうピリオドを打ちました。では最後に何を提示していたかっていうと「ラブライブ!は、高校三年間という限られた時間で、女子たちがスクールアイドルとして一生懸命頑張る、という競技です!」という明確な宣言です。これは次作以降への宣言だと思います。

μ'sはというと、テレビ版で話にピリオドを打ちましたが、μ'sというキャラクターたちにピリオドを打つ必要はない。打つ必要はないというか、そこら辺は受け手がなんとかしてくれる(していい)。

 

と、いうスタンスだと思うんです。

だから、テレビ版で始まり、テレビ版を観て、そんで映画で物語をシメるつもりだった人は、きっとがっかりすることもあっただろうし、それはそれで当然の話だと思います。で、この観方はとってもベーシックで、正しい。正しいので「映画よかった」と思っている勢も、それに対する効果的な反論を打つことができない。

しかし、ラブライブ!とμ'sという作品が担っているのはもうちょい広くて、現実世界のライブだったり、楽曲だったり、ラジオだったり、MVだったり、アイドル性だったり、そういう拡がりの中に「ひとつのポイントとして」映画が位置付けられているに過ぎない。だからその観点でラブライブという作品を受け取っている人は、映画を観たときに、また燃料をもらえたので「今後起こりそうなことに」わくわくできているはずなんです。でもこれは「未来の話」なので今は一切評価ができない。でもわくわくしている。そういう無意識的なところ、持っている熱量をどうにか落とし込もうとした結果の言葉が「映画よかった」なんじゃあないですかね?

少なくとも、僕はそうです。

 

ということでまとめていきます。映画がつまらなかった人、それは正しい。これはMVの連作であり、ひとつの物語としては大して面白くない。しかしそれはラブライブ!というメディア全体を観ていない。もったいないから、もしよかったら作品世界をテレビや映画の外側の各種メディアまで拡げて受け入れる方が楽しめると思うよ。

映画がおもしろかった人、それは正しい。しかし映画単体で観たときの一つの物語としては、他の名作ほどの爆発力は産みだせない。ここは認めてしまおうぜ。それでもラブライブ!という作品世界は揺るがないし、今後のラブライブ!関連のもろもろもきっと面白いことが起こるはずだぜ。

 

 

と、いうのが、あの映画を観た感想です。長文お付き合いいただきありがとうございました。

 

追伸。こういう、二次創作やユーザーの反応を前提とするか、もしくは積極的に受け入れる(レベルは様々ですよ)ような作品は「エヴァ」以降どんどん増えていると思いますし、そういう研究もかなり前から(東浩紀とかかな?)進んでますので、そろそろ一般的なものだと思うのです。

けどもやっぱり「作品を受け取るスタイル」って今までの消費様式を踏襲してて、それがこういう感想の差を産むのかなぁ、と思ったのです。

なので、これで明確に言語化しきれたとは決して思わないんですけど、こういう多様な消費方式が現実としてあるだろうな、ということは、今後メディア作品を評価していくうえで絶対切れない観点だと思うんですよね。