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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

どんなメディアを手元に用意するかは自由だけどね

こういう論争があったらしい。

matome.naver.jp

 

僕はある程度高学歴と言える側だと思うんですけど、以前にお仕事でお子さんをお持ちのママさんとお話する機会がありまして、その際に僕の学歴を褒めていただきつつ、お子さんが勉強しないと愚痴をこぼしてらっしゃったんですね。

その時にその方がぽろっと仰ってたのが

「もう(漫画なんて読まないで)教科書だけ読んでいてほしい」

と。

その瞬間に僕の頭の中では「うわあ、そんな風にして育った人と何話すんだろ」と思っていたのでした。

 

勉強をするということは、課題解決能力を鍛えるということで大事ですし、学力は努力が一番評価や収入に結び付きやすいという意味ではパフォーマンスの優れた能力なんですけど、そういう人はいくらでもいるわけで、誰かが誰かと付き合おう、というときには、その人の魅力が明に暗に「選択」されます。

 

……というと「お前はそうやって付き合う人間を取捨選択してるのか」って非難されそうな気はするのですが、真面目なお話をすると、してますよ。やりたいことややるべきことで時間がぎっちぎちに囲まれている場合、人や物事、どれを選び取るかは常に選択に晒されます。どちらかしか選べないなら、より魅力的な方です。

 

最初の論争に戻りますよ。

元の記事の中で「ゲーム」と「それ以外(引用元ではサッカー?)」が比較対象とされているんですけど、この論争は「ゲームの価値を下げる」ということの是非について書かれてて、これはそもそものところで「失敗」だと思っています。

何かをさせるために何かの魅力を下げるというのは、下品な行為だと思います。たとえば異性に自分に目を向けさせるために、ライバルの人間性を乏しめることは下品です。それで自分の価値が相対的に上がったように見えても、絶対的には上がってない。

与えたいメディアの価値を高く見せるために、それ以外のメディアの価値を下げることは、絶対評価で言えば、与えられる側のメディアの価値にとってプラスになってない。マイナスしか作ってないんです。

それは、結局のところ「与える側が能力不足だから」起こっていることだと思うんです。見た目、目的を達成したように見えても、それはきっと最終的には「大した効果をうまないと思うよ」と思うのです。

 

世の中には、自分の能力不足を観ないようにするために、何か別のものの価値を相対的に落とそうとする論調をとる人が居るので、気をつけたいなと思っている所存なのです。

という、この記事が「能力不足を観ないようにしている人」を相対的に落としているじゃないかと言われると、それはそれでその通り。