朝、ニュースを見ていたらそういう議論で特集を組んでいたのですが、ネット発とか言っていたこの議論は、根本的にずれているよなぁ、と思うのでした。
なぜなら、比較するための主体が一致してないから。
「教えるかどうか」という行動の主体は常に教える側にあります。
「盗むかどうか」という行動の主体は常に学ぶ側にあります。
それを比べるのっておかしい。
それを比べることができる前提があるとしたら、
「教えるかどうか」と「盗むかどうか」が、それぞれの主体の得る利益に何らの影響ももたらさない前提においてでしかありえないと思います。
仕事をする「会社」みたいな組織において、組織の目標は基本的に最大限の利益(公的機関の場合は効果)を産むことにあります。
そしたら、各成員が目指すのも自己が最大限のパフォーマンスを発揮するってことになります。それと引き換えに賃金と、その賃金や職位の向上というインセンティブがある。
ならば、教える側は、教えることによって効率が上がるなら間違いなく教えるべきだし、学ぶ側は、盗むことによって効率が上がるなら間違いなく盗むべきで、そこにどちらという責任の押しつけなんか生じるわけないと思うんですよ。
これを悠長に議論してるとしたら、それって単純に、組織が失敗しているか、議論している人の思考がちょっとずれているかのどちらかだと思う。
映像中で、金融機関勤務の方が話していたのは、教えなかったことによって億単位の損害を被ったことがあるから、教える方がよい、と話していて、これはこの通り。
コメンテーターが、職人さんは盗んで覚える、と話していたけれど、これは良し悪しで、その人だけで見れば技術継承「しない」ほうが、技術を持っている人の優位性が高まるけれど、文化的見地、時間的見地から見ると、継承者が居ないのは損失だから、盗むだけの継承で維持できないなら教えるほうに傾いたほうがよい場面が出てくる。
そういうバランスと、良し悪しによってなりたってるものなのに、そもそも立ってる場所が違うところを比べたってだめでしょうよ、というところです。