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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

「働き方」が今置かれているリアルな現状について考えていく

労働と賃金と世代とのことについて考えようと思ったんですけども、話が散りすぎないようにすることを考えてみると「働き方」という言葉の置かれている立場について考えるのがいいかなと思えてきたので、それを基にしようと思うんですよ。

 

きっかけは「残業せずに時間内に終える」よりも「引き伸ばして残業して終える」ほうが賃金も評価も高くなる、みたいな皮肉だったかな、と思っております。

 

この「働き方」なんですけれども、これがあまり効率的でないのは、それなりに誰の目にも明らかなわけです。超過勤務分は割増賃金になるので、単位時間あたりの効率は悪い。

じゃあ「引き伸ばして残業して終える」のは「どうして支持されるのか」ということを考えていくわけです。目的に合理的でない考え方が支持されるときは、価値観に対して合理的であると考えてみる。

 

1.業務が置かれている状況によって支持された結果である

 たとえばものすごく業務がたまってしまっている場合、(これはマネジメントの問題なんですけど)それらを残業してでも終えることが必要になってきます。けれど残業はつらい。このあいだを精神的にどう調整するか、というときに「残業」の価値が相対的に上がる。これ、比較的世代に関わらずよく見られます。たとえば「みんな残業してるのに帰るとか何を考えているんだ」という言葉です。残業の価値が上昇するか、もしくは定時退社の価値が下がっている状態。

 

2.業務量がもたらす効果が逓減しない結果である

 時間をかければ時間をかけるほどものすごく儲かる場合、それは働いたほうがよい。ものすごく儲かる、というのは、残業として費やした時間を他のことに使うよりも、残業で得られる賃金の満足度が高い、ということです。

 転じて、同じ理由で考えれば「家にいるより職場にいる方が満足度が高い」も言えると思います。自宅で立場のない人、仕事以外に属している集団がなく、コミュニケーションができないは、職場にいる理由を構築するために「長く働くほうが素晴らしいのだ」という価値観を積極的に採用すると思われます。よく「定年退職すると地域に戻っていけない男性」みたいなモデルで言われますよね。

 

3.過去の判断の正当性を維持しようとした結果である

 上記二点のように「残業が正義」という判断が、何らかの理由で過去に選択された場合、それを支持しないと、自分の満足度が下がる、または不利益を被る場合、事情が変わっていても「残業が正義」を支持し続ける方がよい。

 たとえば「なんもしなくても儲かる」超好景気においては上記2の理由を採用する可能性が高くなると考えられます。けれど、時間をただ使うだけで高収入を得るというのは気持ちが悪い。よって「頑張ったから(残業したから)」「成果が出た(儲かった)」という理由を採用しようとする。景気という変数は(そもそもはかりにくいということもありますが)無視されていく。

 そうすると、景気が悪くなった場合には、景気という変数は無視されていますから「成果が出ない」のは「頑張っていないから(残業していないから)」という理由が採用されるようになる。

 

 そもそも「働き方」というものは「時間」「価値観」「賃金」「景気」「効率」「能力」などによって効率的な選択が変わっていくものだと思うのです。けれど過去の「景気」がよかったときの「価値観」が現代にいたるまで他の変数の採用を妨げている。というのが「働き方」が置かれている現状かなと思っています。

 もちろんこれは業界によっても、年代によっても大きく変わっていますし、自分が最初に就職という波に触れはじめた10年近く前から考えても変動はしてきている。

 

 けれど、しっかり分析されていない現状は当時とあまり変わっていないな、と思うところです。とくに、公的な分野からトップダウンで、労働者にとって効率的な選択を提供しようとする動きはこと鈍い。

 

 一概に「これが正義だ」とは言い難いのが難しいところですが、今も残る旧価値観での労働観念に対して、それが効率的でないと感じるときには、効率的でないよ、という反論はしていきたいところだなぁ、と思ってます。

 それ自体がリスクを伴うものなのがちょっと痛いところなんですけれど。