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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

オタク趣味を否定したい人は、絶対にその反論に耳を傾けないというお話

TLがだいぶ盛り上がってますが、たぶんこちらのツイートがコトの発端かな、と思っております。

 

 

似たような話をなんどしたかわからないですが、オタク論でどんなに筋を通したとしても、このようにオタク趣味と敵対したい人たちが心を開くことはほぼないといってよいと思います。

 

なぜかと言うと、このような主張をする人々は「不登校ニートになるのは、オタク化によるものという結論」を否定することが構造上できないからです。

 

恐らくですが、不登校ニートになった場合には、その大部分が、いわゆるオタク趣味に傾倒すると思われます。

理由は、それによって、不登校ニートには不足がちになる「外界とコミュニケーションしたい」という欲求を満足することができるからです。

コミュニケーションしたいという欲求は、家族、友達、職場、恋人、そういったもので通常満足ができますが、サブとして読書、芸術鑑賞、アニメ、ゲームなどでもそこそこ満足ができます。いずれも「物語」を吸収していると考えれば同じカテゴリに入れることができます。

 

ですので「オタク趣味の人が不登校ニートになる」というよりも「不登校ニートになると、オタク趣味を選ぶ」のであり、大方の主張と同様に、精神的な拠所としてオタク趣味が選ばれます。

 

ということは実態はは「教育」だったり「社会化」の失敗なのです。自分の子供がオタク趣味と不登校を併発した場合、それは「その親(もしくは学校)の教育の失敗」と評価することができます。

が、この結論を受け入れるだけの度量を持った人は、当初から「オタク趣味が原因」ではないことに気づきますし「オタク趣味を規制することで対策できる」とは口には出しません。

 

「オタク趣味が原因」「オタク趣味を教育のために規制せよ」と言う人は「自分が教育に失敗する」という事態と向き合うことができませんので、頑なに「オタク趣味が原因である」と言い続けることになります。

教育機関も同様で、まさか教育機関が教育に失敗しているとは口には出せませんので「オタク趣味が原因である」と言い続け、問題の矛先をそらしておくしかありません。(これは、教育機関が怠慢であるということではなく、その場では迎合しておくのが、その後よりよい教育方針を作るにしても合理的だからです)

 

よって「『私が』子どもの教育に失敗した」→「子どもは拠所を求めてオタク趣味に迎合した」→「問題となった」の順なのですが、一番最初の『私』と向き合うことができませんので、いくらオタク趣味が悪いものではないと伝えても耳を貸すことはありません。耳を貸すと、その人は一度自分の世界を壊すことになります。それはとても辛いことで、とにかく逃げたいことなのです。

 

つまりこういう人達に突き付けるのは「(オタク趣味がどうとかでなく)あなたの教育は失敗してますよ」という事実なんですが、それは放っておいてもいつかはそこに到達しますし、それで根本が解決するわけではないので、むしろ不登校ニートという状況を持つ人を社会化するかに対して、オタク趣味とは関係のない施策をバンバン打っていくというのがよいのではないかなと思います。

成功すれば「不登校」「ニート」といった問題が消えますので、オタク趣味に対してやいのやいの言う必要が消えます。とはいえ一部は「正義を語るサークル活動」が楽しくなってしまい、そのままオタク趣味批判を続けるでしょうが、忙しくなるか体力が減っていくと自然に消滅していくと思いますし、勢力としても微弱になっていくのではないでしょうか。