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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

Gのレコンギスタの最終回が録れてなかった話とか

わからないなりに毎話みていたGのレコンギスタですが、最終回が録れてないという事件が発生し悲しみにくれていました。

どうやら30分ずれたことと、ずれた場所の番組名が「ガン見!」で「ガン」が被っているためtorneがこれでだいじょうぶっぽいなと判断して撮ってしまったらしいです。

ちなみに、Gのレコンギスタはそういうわけで2回録画ミスってるんですが「最終回」と「ベルリとアイーダが血縁ってわかった回」が録れてなくて、ちょっと致命的です。

結局のところ最終話はお友達の家で見せてもらったんですが、泥酔して観てたので映像的にはちゃんと記憶に残ってないです。あとでガンダムチャンネルで観ます。

 

■よくわかんなかったけど、あるときストンと落ちた

一生懸命観てたんですけど、まぁまぁ話があっちこっち行くし登場キャラも多いしで、正直に言って毎週という枠で見るには向かないと言わざるをえません。今でもわからん。wikipediaとか公式サイトとにらめっこして、ようやくなるほどそういうお話なのね、ということが判ってきた次第です。

けどいちばんストンと落ちたのは、AnimeJapan2015で流れたという富野監督とのQ&Aの記事を読んだ時でした。

 

富野総監督とキャラクターに聞く67のQ&A(AJ2015) [ 日々ガンダム ]

 

特にははぁと思ったのがQ22とQ40です。

質問者の質問は「物語」とか「世界観」とかって枠組みで見るとそんなに不思議なものではない。なぜならクンタラという被差別者を設定するなら、それは判りやすく描かれた方が観る側も楽だし、話もすっきりするからです。クンタラは全員抑圧されていて、クンタラは皆同じ印がアイコンとしてあって、クンタラじゃない人達と確執があって……

というと、すごくわかりやすい。

でもリアルではない。

「Gのレコンギスタ」では、たくさんの勢力、思想、文化があるけれど、それに属するおのおのの登場人物が持つ「視点」「思想」「世界観」にフォーカスするということはない。

世の中にはいろんな人がいて、クンタラであるかないかに関わらずいろんな人がいて、それらをベルリと同じ時間で見る、ベルリと同じ「場所」「時間」意外の何らかの枠組みでは切り取られていない世界を観る、そういうのがGのレコンギスタという作品なのだと思います。

 

だから終わっても、結局のところよくわからない。それは僕らが自分の世界を観ても全貌はわからないのと同じだと思います。けれど観れば観ただけのことは判るし、世界は広いんだなというのも判るし、人は多様なんだということも判る。

 

と、考えたら、このややっこしいお話を、ややっこしいままでいいか、と思えるようになった。

人のセリフがよくわからんのも、作中のカップルが性的なにおいを見せながら直接的な描写はないのも、なるほど。秘匿されてるもんを神の視点から観れるなんてぇ都合のいいことはない。

 

■わからないものとして調べると面白い

話を何かわかりやすい枠組みの中にいれることをしないで、広がりのある世界としてGのレコンギスタの用語やキャラについて調べていくと、世界がどんどん広がっていって、なるほどとても面白いです。

このお話を分かりやすくすることは簡単だけど、そうするとこの世界はきっと面白さを喪失してしまう。だからきっと「子どもに観てほしい」と総監督は言っているのだと思います。アニメという形態は「判りやすい枠の中で面白いお話をする」にどんどん固まって行ってる。アニメを見せて、アニメを始点にしていかに広い世界が面白いかと思わせるというややねじれた感じ、とても難しいことだけど、富野総監督の立場だからこそ許される企画だと思います。

 

そしてエンディングテーマです。そんな風に広い世界を観せて、富野総監督はどんな言葉を視聴者、特に十代の少年になげかけているのか!

www.youtube.com

 

というわけで、最終的には観てとても面白かったですよ、Gのレコンギスタ!