paper-view

ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

厳罰化はいつもすれちがう

ちょい前に、中一殺害事件の絡みで少年法が議論に上っていました。

色んな少年事件が起こるたびにこういう議論は起こっていて、毎度同じことを思うのですが、今回も同じようなことを書いていきたいと思います。

いつも思うのは厳罰化(もしくは不要論)とその反対派の視点は常にすれちがうなということです。

 

お話をシンプルにするために単純に(厳罰化)賛成派と反対派に分けるとします。

賛成派の立ち位置は基本的に「こんな悪人を救えてしまう法律はおかしい」です。

一報反対派は基本的に「厳罰化することによって損なわれてしまうことがある」という立場に立っていると思われます。

根本的なところでズレているのです。

 

反対派は「こんな悪人でも救おうよ」とは一切思っていないはずなので、賛成派とは仲良くできるはずなのです。しかし賛成派に頷いてしまえば、法律が改正されて、もともとの法が持っていた機能を損なってしまうので、賛成派に頷くことはできない。

いっぽう賛成派は、事件への怒りや、恐怖が念頭となっていて、それは理由としては正当なのですが、その「悪人」が焦点なので、法が社会全体にもたらす効果までは頭が回らない、回さない。法の趣旨を守るための慎重論が「悪人を守る」にすり替わってしまう。

 

「ものすごい辛いカレーで人がケガをしたから、辛いものは全部禁止にしよう」というのは極端な話だ、というのはご理解いただけると思います。結局この手の事件はこういう話です。

 

じゃあ辛い物というものに対する判断を「ものすごい辛いカレー」を念頭に置いてしていいかといったら、それはやっぱりちょっとばかり極端なんじゃないでしょうか。

 

結局のところ、法を守っている政治、法曹、そういう人たちは、社会的なインパクトを見れる人ではあるはずですので、そこまで不安視する必要はないとは思っています。

が、たまにそういう「悪人への怒り」みたいな、究極、法の趣旨とは関係ないところに乗っかって主張を通そうとする政治屋の方がいるので、そういうのはちょっと怖いです。

何かセンセーショナルな事件が起こるたびにこういうことがお話に上りますが、いちばん観ているのは「ここで安易に迎合するコメンテーターや政治屋は、ちょっと怪しい」というところだったりします。