僕が「デザイン」という言葉を使うときはたいていが「プロダクトデザイン」に近い意味で使用しておりまして、今回もそういう意味で使用しております。
普段「何を話さなかったか」にどのくらい意識をしているでしょうか。
「何を話さなかったか」は二つの意味がございまして、
・自分がどの言葉を「取りこぼしていたか」
・自分がどの言葉を「選ばなかったか」
という両面の意味を持っています。
思ったよりこれは意識がなされていないのかもしれない、というのが今回のエントリーのきっかけでして。
たとえば。「今から僕は大事なお話をしますけれども、それは先日思いつきました40分の大長編の新作現代落語の中にちりばめて話しますんで、各々がちゃんと聞き取ったうえで必要な部分は聞きもらさないように」
っていうと、これはもう怒られても仕方ないと思うんですよ。
理屈は簡単です。「大事なことを言うなら、それ以外の事はノイズだ」からです。これは皆様問題なく呑みこめると思います。
が、このノイズがたとえば「今から5分話します」だとどうでしょうか。
大事な話をしますけど、もう一つちょっと話します、だとどうでしょうか。
あるいは、何も言わずに大事な話と全然どうでもいい話をするとどうでしょうか。
状況にもよりますが、だいたい話は聞いてもらえるか、もしくは聞くふりをしてもらえます。
では話したことはちゃんと伝わったのでしょうか。
通常で考えまして、情報量が増えるほど伝達力は減ります。
言いたいことはとにかく簡潔に、シンプルにしたほうがいいですよね。
さらに言いますと、相手に何らかのことをさせたいなら、必要なことは何度も言い、本題に続く枕みたいな言葉は話の入り口の自然不自然に関わらず言わない方がいいと思います。
人は忘れる生き物で、とにかく言ったことの多くは忘れられます。「メモ取ってね」と言っても忘れられます。もっとふてぶてしい人間だと、忘れたことを忘れるか、忘れることは当然、かつ記録もしないのに、言った方の努力が足りないくらいの事を言います。
しかし一方で、言った側も「一度言ったでしょ」を免罪符に、それ以上のことはしないこともあります。それが十分に届いたかどうかは「言ったでしょ」を免罪符に不問になります。
結果としてダメージを受けるのは「本来させたかったこと」です。
どちらに責任があるかとかは問題が起きたときに当事者間で解決してもらえばいいかなと思っているのですが「本来させたいことをさせる」という行動を完遂するなら、言う側が工夫をするのが一番早いんじゃないかと思います。というかそれ以外にアプローチする方法はないと思います。
もっと言うと、誰かに何かの行動をさせる時に上手くいかないのはたいてい、言う側のことばのデザインを変えればなんとかなると思います。
よって伝達力を保つために、情報量は減らすべきだと思います。
が、これは自分くらいの世代が持っている一種の「マナー」みたいなものでもあり、めんどくさいことに、もう少し上の世代になると「情報量=質」みたいに思っているところが多くなります。研修や講義で、使いもしない大量の資料を配られて、ちょろちょろと読み上げて、あとは各自読んでくださいね、とか言う場面、一度は出会っていると思います。読みました? 僕は読みませんでした。
よって大事なのが、選択的に「何を言わないか」だと思います。
これが比較的、文章だと「ここは要らないね」って削ることはよくあるんですけど、話し言葉だと本当に意識されない。結構簡単によけいなことを言ってます。
それが物語であれば、冗長であっても必要な時はあると思いますが、プレゼンのような機会であればガンガン削っていくべきでしょう。
本当に美しくて伝わる言葉はたぶん、ものすごく短いはずですよ。