ファーストコンタクトは既に他界した伯父が持っていたカートリッジ。
以降はゲームそのものよりも、四コマ劇場で知ったかな。
なんでこんなことを急に書いたかということなんですけど、最後のセーブポイントである「きぼうのほこら」ってストーリー的にどういう位置づけなのだっけ? と思ったからなのです。
魔界の中心地にぽつんと設置されたきぼうのほこらと、そこにたたずむ天空人。システム上必要だったにしても、どうして、どういう経緯であんなところにいたんでしょうね。
本編であまり強調されないのですが、ドラクエ4は人間と魔族の政略的な戦争のお話。
ピサロは人間を憎み魔王の長として戦い、デスピサロとなりますが、その原因には直属の部下であるエビルプリーストが、人間を操りロザリーを殺させた、という背景があります。
既に、お話の中心には策略があるんですよね。
結果として、人間側のリーダーである勇者は故郷と親しかった人をすべて失い、魔物側のリーダーであるピサロはロザリーと自分の心を失う、ものすごい消耗、欠落。どちらもそれを望む必要はなかったはずなのに、です。
主人公を中心にしたストーリーでは意識されないけれど、謀略うずまく天空と魔物と人間のお話、きぼうのほこらにいた天空人にはどんなストーリーがあったのかなぁ、などと思うのです。
公式のコンサートでは楽譜化されていないと思いますが、ゲーム版でのドラクエ4のエンディングテーマは、それぞれのキャラクターのテーマが織り込まれてます。各キャラの出身地へ赴いて、一人ずつ仲間と別れていった後に流れる、ドラクエ4の勇者がひとりで旅をする時のテーマ。
もうね、ものすごい寂寥感です。
故郷に帰ってもそこは廃墟、仲間はすべてそれぞれの生活に戻り、勇者には何が残ったか?
最後に仲間がもう一度集まるという救いは確かにあります。
だけど、勇者の境遇を思うと……切ないですね。
戦いって何も産まない。それがドラクエ4の結論なのだと思うのです。
そして、続く時系列となるドラクエ5においての人間と魔族の関係も、それを引いていると思えばより感慨深くなるというものです。
最初にFC版が好きだ、と書いたのは、PS版では追加シナリオにより、この虚無感のバランスが崩れてしまっているからです。諸々あるけど5章までで綺麗な話、5章までで止めておくのがいいと思う。