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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

10

この10年どうだったかな、なんて考えてみたんです。
10年前っつーと若干誤差があるんですが、ちょうど大学時代に自分が「大学で」新しい活動を始めた頃でした。
何をしてたかというと、photoshopいじって印刷物作ったり、コントラバスはじめたのがこの頃。

現在はどうかというと、そのあたりではじめたことは今もしている。
けれど、一方で、それらが技術的に向上したかというと、ものによってまちまちです。
webに関する実用知識は1.0時代のままだし、画像についても今までの貯金でやってる。
楽器は過去に比べたら弾けるようにはなった。

向上したなと思うのは、マネジメントだったり、イベントごとだったり、そういう何かを管理する類のこと。
それと、人の意識のトレースや誘導。
精神面はずいぶんストレス耐性が高くなったなと思っています。
文章も前よりずっと気にしながら書くようになった。

生活は幸せでした。
およそ、大部分の日本人が得て幸せと思うモノは、得ていると思うし、幸せをかみしめています。
みんなありがとう。


創りたいのだ。伝えたいのだ。
ということについての気力が萎えたことは一度もありませんでした。
もうあとは消費でいいや、というようにはならなかった。
たぶん今後もならないと思います。
表現手段が変われど、創ったもので承認を得たいという欲求は死ぬまで消えないと思う。

一方で、創りたいのだ、伝えたいのだ、が100%達成できたこともありませんでした。
今でもドラゴンボールがあれば、まず最初に表現力が欲しい。
これを創りたい、これを伝えたい、というものは頭の中に、もしくは伸ばした手の先にあるんだけれど、でもそこにどうしてか届かない。
がちっとつかむことができない。
ひょっとしたら一生届くことはないのかもしれない。
届いてももっと先に離れてるのかもしれない。
頑張ってるつもりなんだけれど、足りないのだろうか。


ここからの10年はどうなるだろうか、と考えてみる。
自動で機会はやってこないし、たぶん、もっと孤独に頑張らないといけなくなる。
何かをやりたいなら迷わず、でも冷静に、戦っていかなきゃならなくなる。
いっぽう、体力は落ちる。
時間も足りなくなる。

しかしみじめでも足りなくても、続けていかないと、やめてしまったら自分にとっては死んでるのと同じくらい、辛いことなんだろうなと思うのです。
難儀だなぁなんて思いつつ、自分にとって楽しいことは常に変わってないんですよね。

次の10年は、前の10年より、もっと先に行く。
次の10年は、前の10年より、もっと幸せを作る。
ご期待ください。やるったらやるやつですんで。