読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

paper-view

ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

ベビーシッターマッチングサイト事件から考える自分の生活デザイン:2

前回の続きです。

・自分の目から見た、社会のスタンダード
前回も申しあげましたがいろんな境遇の方と接する機会があります。
その中で自分が見たのは、生活に対するスタンダードな意識があるということです。
それは、核家族で、子どもをもち、家を買い、保険に入る。
特別なことではないように思われると思います。


「スタンダード」と書きました。
確認しておきたいのは、この「生活の仕方」というのは、その社会や個人の状況において、最適なものを選択する、という順番

であるべきだと思うのです。
クレヨンしんちゃん」的な家族構成は、父ひろしの年収があり、母が専業主婦になれる状況下において選択されているわけで

す。
が、それが壊れてしまっている。
具体的には「核家族で、子どもをもち、家を買い、保険に入る」の維持のために、生活が成り立たなくなっている、という状況

・リスクの抱え方
選択には常にリスクとリターンが伴います。
味気ない言い方をすれば人間関係ですらそうです。
生活という意味で、とりあえず家の購入を考えてみます。
リスクは長期の大きな債務を抱えること。
リターンは財産を形成できること。住宅費が低く抑えられる可能性があること。

ここでは必ずリスクとリターンのバランスを見なくてはなりません。
そもそも長期の大きな債務は、その債務を履行する間の収入が保証されていることが大事なはずです。
が、このリスクとリターンが計算されない。
「家を買う」が必須の事項として前に出てしまい、リスクとリターンの計算が無視されていく。
正直、いわゆる終身雇用の正社員ですら、現在ではリストラや賃下げが通常にありうるわけで、長期の債務は恐ろしいと思うの

です。

・リスクとリターンを再計算して、社会のスタンダードが本当に正しいか考える
では、自分たちがリスクとリターンのバランスをとるにはどうしたらよいのか?

自分が色々考えた結果としては「近くに住む」がバランス取れてるかな、と思いました。

たとえば拡大家族を作るとして、その構成員が全員納得するのであれば、それでよいと思います。
しかし実際には、人間関係の問題、そして前に述べた「核家族というスタンダード意識」がある。
首都圏都市部に住まう親を持っていて、拡大家族を形成できる一家はそんなに多くないはずです。

少し脇道にそれますが、大学時代に自分の先輩が「趣味などのコミュニティで家をシェアする」ような住まいの形態を論文とし

て発表していたように記憶しています。
所謂「シェアハウス」のようなものかなと思いますが、もう少し距離が近そうです。

空間や稼業をシェアしていけば、それだけそのコストは下がります。
それを維持するということだけ考えれば、担い手が増えるほど、誰かが動けなくなったときのリスクも下がります。
サザエさん一家であれば、もしフネが倒れてもサザエが母の役割に立てる。
波平が倒れてもマスヲが稼ぐことができる。タラヲの面倒を大人とカツオ、ワカメが分担して見れる。
でも「生活をシェアする」のは、血縁ですら大変なので、当然友人関係などではもっと難しいと思います。
なにせ、僕くらいの世代であれば、まだ「シェアハウス」にも違和感がある人は多いと思うのです。

だから「近くに住む」という距離感なのだと思います。
そして食事、エンタテイメント、持ち物、時間をゆるめにシェアしていく。
仕事が早く終わった人間が、みんなの分の食事を作って、夕食だけシェアする。
自分の子と友人の子と、お互いにお互いの世話を支える。いざというときにベビーシッターサービスでなく「知人」を頼る。
住宅費は下がらないけど、それ以外の生活維持費が下がっていくと思います。
それは友人であっても、血縁であっても成立します。
でも「人数が居ないとできない」ことだと思うのです。

このへんはもともとは「ご近所づきあい」が担っていた機能です。
でも僕らはそれらも「安全」のために棄ててきています。
となると、知ってる人間関係を近くに寄せていくしかない。

究極的には村化していきます。長屋や寮のようなハードウェアがあればよいのかな、と思っています。
それぞれの世帯はきちんと仕切られていて、けれど空間的にはとても近く、コミュニティを作れる条件がある。

実質的には成立は難しいです。
勤務地に遮られる。生活時間の差異に遮られる。人間関係に遮られる。
血縁に比べて、変動する可能性がとても大きい。

けれど、自分たちの世代が取りうる生活のコストとリスクの対策って、こういうものだと思うんですよね。

僕らは、もっと意識的に、物理的に近くで住まうべきではないのでしょうか。