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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

ベビーシッターマッチングサイト事件から考える自分の生活デザイン:1

お久しぶりです。

数年前まで色々と社会の事についていろいろ書いてたんですが、最近はtwitterでちょいちょいとつぶやくくらいで、ほとんどまとまったことを書いてなかったなと思ってます。

そんなところに話題が来たので、もろもろ頭の中で考えていました。

ベビーシッターマッチングサイトに偽名で登録していたシッターに緊急的に子どもを預けたら、子どもが死亡した、という事件です。

話題が広がっているのでいっぱい問題があります。

でもお話したいことは「自分の生活デザイン」ですので、それ以外の事はさっくりと終わらせたい。

先に傍系の話題から。

 

・社会的インパクトについて

ショッキングな事件なので、当然たくさんの反響があります。

それぞれの発信者が得ている情報はいろいろなので、批判の方向もいろいろなのです。

どんな話でもそうなんですけど「行政」と「社会」を批判しましょうよ、と思っています。

「個人」や「サービス」を批判するのは簡単です。反撃が来る恐れも無ければ、比較的情報も集めやすい。何より個人を相手に批判する場合には、自分を正義と置くと簡単に批判できます。でも、それはなんにもならないですからね。

「個人」は一人ひとり全員事情が違う。

そして「サービス」は「社会」から求められているものによって成立してます。だから「サービス」を批判したところで、実際には「社会」を変えないと、同様のサービスは必ず生まれるのです。

 

・マスコミについて

天気予報を観るために朝、ニュースを見ているのですが、とにかくテレビ番組って「ネット世代」より年上の人達向けに作られていて、その人たちの層がもっているモラルを反映・再生産していて、居心地が悪いなぁ、と思いながら見ています。

でも、視聴率や広告費を考えるのであればそうせざるをえないのだろうな、と思います。

たとえば自分がTV番組を作るとしたら、今は過去と違って、必死でメイン視聴者層に向けて視聴率を稼いで作らないとお金にならないし、お金にならないと食べていけないです。そうしたら申し訳ないけど、自分の考えていることとちがっても、一番ウケがいいものを作るしかない。

だから、どうしても一番テレビを見ている層が気持ちよく正義に浸れるメディアにテレビはなってしまいます。

ではネットは、というと、こちらはこちらで、ほとんどコストなく見られる結果「あんまり考えなくてもいい」情報の声がどんどん大きくなってます。

 

んで、ここからが自分が考えていく「自分の生活デザイン」です。

・子どもを持つことを検討しなきゃいけない年齢になった

ライフスタイルの話ですので、この話題において子どもを持つかどうかは一切検討しません。

子どもをもつかどうかがリアルな問題となる年齢になってきたので、いろいろと考えるんですが、とにかくどこを見てもリスクの高さにぶつかります。

特に収入と時間の面で、一人育てるっていうのもギリギリ、という印象。

収入、時間、どちらかがコケたら、きっとどこかが破たんする。

なんでそんなことを言うかというと、その破綻したケースをいっぱい見ているからです。だからといって悲観的になるかというとそういうわけではないんですが、安心できるような状況を作るハードルは高いなぁ、と思ってしまいます。

 

・簡単にライフスタイルの歴史

両親は核家族。祖父母は高度経済成長期。

祖父母くらいの世代だと、親子に加えて孫などが加わる拡大家族、商店の場合は住み込みなど、さらに拡大された家族形態を通常にとっていたみたいです。

家族は単純に、同居人数が増えればそれだけ一人当たりの維持コストやリスクは下がる。僕たちの世代は、家庭科や社会の授業で、拡大家族が担っていた各種の機能(学習・保育・食事)の外部化(学校教育・保育・外食)とか勉強したと思うんですが、そういうものが家庭の内部にあり、それで運営できたのが近代くらいの過去。

もっと前になるとこの家族の概念は「村」くらいの単位になるわけです。

で、親世代くらいのところになるとそれが「核家族」になるわけですがこの「核家族」ってのは、さすがに家庭が必要としている機能をすべて満たすにはギリギリの構成単位なんじゃないかと思うのです。

僕の両親なんかは、二児、マンション持家、父が会社員(年功賃金・終身雇用・定年後再雇用)、母が専業主婦(手がかからなくなってからはパート)というモデルケースみたいな核家族なんですが、これを維持するには父単体の年収が6~8百万は必要だったのではないかと思います。

 

まぁまぁ、とはいえ僕の父の頃なんかは、そういう働き方は比較的できたんだろうなと思いますし、年功序列終身雇用も会社が約束してくれて、リスクも限定されていたのだろうと思います。

 

で、現在はというと、年収三百万時代と言われ、自分も五百には届かないですし、夫婦なら共働きが通常に。

その状態で、子どもを作ると、その養育をどうする。夫婦のどちらかの収入が限定されると、収入としてはとても厳しい。

もし片方が身体を壊したりして通常の動きができなくなると、それだけで破たんしてしまう。

 

・だから本当は、拡大家族に戻るべきなんじゃないだろうか

拡大家族であれば、成人している人数は3~となるので、比較的リスクが分散します。一人当たりの維持コストも下がるので、お得です。

 

でも、それはできないだろうなぁ、と思います。

色々と理由はあるんですけど、ここではとりあえず「親世代は核家族でいけた」っていうのを、先につなげるために挙げておきたいと思います。

 

人は通常、自分の境遇を元にお話をするものですので、親世代であれば当然親世代の世相やモラルを元にお話をすることになります。そして子世代は、社会的に可能であるかどうか、実質的であるかどうかという基準とは全く別に「親世代のモラル」を意識的無意識的に引き継いでいます。

 

つまり自分は「核家族でしっかり稼いで子育てもできるのがふつう」というモラルを引き継いでしまっているのではないかと思っているのです。

だから「親世代と拡大家族を形成する」のは、なんとなく、も含めて想像に上らない。

 

でも、もう核家族の子育てのリスクを一定以下に保てる社会情勢ではないです。いや、不確定な部分もありますし、自分はリスクはあるかもしれないですけど、なんとか走り抜けられるような気がする。

そんな博打みたいな状況は、可能だとはいえ僕の人生の選択肢は大きく限定されるし、怖いです。

リスクを減らすためには、自分の置かれた社会の状況にあった選択をしていった方がよいと思いました。

 

つづく。