とても面白かったです。小説版の各要素をきちんとまとめてあり、映像として魅せるところはきちんと魅せてある。
小説版「図書館戦争」が"ベタ甘恋愛"、"軍隊組織"などで語られるとするならば、映画版は加えて"演技"と"時期"がポイントになっています。
"演技"はとくに、ラスト直前の岡田准一とメディア良化法支持団体の男との近接格闘シーンに注目しました。
戦闘シーンはすべてに迫力があるんですが、なにせ図書館をめぐる銃撃戦というのは映像にしてもやや現実味に欠けてしまうところがあり、自分としてはどこかに違和感があるように思えました。
それに対して近接格闘のシーンはとても力が入っています。とくに相手の自由を奪おうとする瞬間の攻防は見逃したくないシーンです。散らかった図書という要素も効果的に映像を魅せてくれます。
そして"時期"ですが、やはり児童ポルノ法にかかわる表現規制の問題を抜きにはこの映画を見れません。メディア良化法は児童ポルノ法と置き換えることができ、図書館戦争の世界はすこし先の未来の可能性像として「検討すべき」姿を現していると思います。
その表現方法が優れていると思うのは、各人のパワーバランスが、人間ドラマを構成するうえで巧みに配置されているためです。「メディア良化法」を受けた「良化特務機関」「図書隊」の対立像はやや想像の上を行きすぎています。が、映画上その組織と構図が「ある」としたうえでのキャラクターの振る舞いは現実的です。
とくに見てほしいのはおのおのの立場とそれに対する動きです。若い警官とベテラン警官が、良化特務機関と図書隊の間に入る組織として動くのですが、特にベテラン警官の「仕事をしなくてはならない大人の姿」は、細かい描写ですが印象に残ります。
また戦闘開始前に非難する図書館利用者の「戦争ごっこ」という野次とラストシーン「週間世相」編集部の「一過性」という指摘。一般大衆の姿をよく表しています。
僕も「大衆」の一人ではありますが、たとえば本屋にあるそれぞれの本、それらを書いた「著者」像を思い浮かべるという機会は、そう多くはないのではないかと思います。大量消費の時代ではそれもやむなし、といったところかもしれません。
もし今後規制が強くなれば。それでも規制を生き残った書店に本は並ぶし、規制された本の中から選ぶ自由と楽しさはあるでしょう。大衆はその制限があってもなくても、生活に支障がない。読み手には基本「作り手の想い」は必要がない要素だからです。
それでもすべての本、メディアに作り手はいるし、その想いもある。それは目を向けなくてはいけないと思う。自分だって、日々書く文章についてたくさんの人に届いてほしいと思うし、文字に乗せた想いを届けたいと思う。
だから「現在ある表現規制」「規制が強くなった未来」を考える必要があると思うし、そのために「図書館戦争」という映画にこの時期に触れることはとても意味があることだと思うのです。
メディアと表現について多角的に考える機会をくれた、すてきな映画でした。
- 作者: 有川浩,徒花スクモ
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2011/04/23
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