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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

一ノ瀬志希と私 2019-2016

一ノ瀬志希にゃんがいま自分の中でアツいと書いたのは2016年のことであった。

 

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それから志希を含めてシンデレラガールズで二次創作をしてきたんだけれども、なにがしか書くなら感想だけじゃなくて情報のあるものにしようと思ったので、志希感というよりも志希テキストの読み込みということで連ねてみたいと思います。

 

一ノ瀬志希総論

 筆者がデレステしか主にプレイしていないことをご留意願います。

 総じて感情の振れ幅が狭い。(声優の方もあまり演技の幅を広く取っておらず、ライブ等で声を作るときは概ね同じ程度のテンションで演じているように思われる)感情がダウナー側に振れるシナリオがいくつかあるため、それに触れると幅を感じることができる。

 

・ギフテッド論

 ギフテッドについてはWikipedia等についての項目を参照のこと。単純に(志希においては科学分野の)学習能力が高いという性質のものではなく、知的好奇心の高さ、同年代に比べての習熟の高さの一方で周囲とのバランスのとり方が異なっていて、ADHDに似た振る舞いを見せる場合もある。gift-edと受動態となることからも、先天的であり”本人が望んでいるわけではないが、獲得してしまった能力”であるという認識が重要。志希自身はギフテッドであることについての葛藤はなく、折り合いがついている様子。

 

・感情

 志希の感情は他人との人間関係において総じてフラットであまり振れ幅がない。これはプロデューサーやユニットメンバーについても同様。ほぼ全員に対して自分を崩さない半面で、他の人間が自分のことをどう思っているか、自分のあり方について悩むような場面は見られない。

 自分の想定通りに能力が発揮できない場合は弱みを見せる様子。「つぼみ」コミュではスタッフに対し”謝る”ほどの失態を自覚、またアイドルコミュ4などで自分の想定以上のことが起こった際に身体側に揺り戻しが来ている描写を見ることができる。一方、それ自体を過度に引きずることもなく、自身の現段階の能力の限界も含めて興味の対象にしている。

 

・身体

 上記に関連して、自分の身体について、精神と一体だと考えていない様子。ノーマルカードのホームではへそが出ていることをプロデューサーから指摘されても、それはプロデューサーによる観測の問題であると返答する。身体は外部刺激の入力装置であり、自我とは切り離して考えている様子。

 

・人間関係

 奏コミュでフレデリカから怒られたときにしおらしくするという一面があるが、この感情がどこからどこに向いているものなのかは不明。フレデリカや奏との関係で多少奏から距離を置かれたところで反省しそうもないものだが、志希自身の想定以上にはしゃいでしまったことへのズレを持っているのかもしれない。

 ステレオタイプな正義感については懐疑的な様子。Trust meコミュで南条光とのかかわりの中、道端に食べ終わったチキンの骨を投げ捨てるという行動に出る。直後に南条光がその行動を正すが、この志希のインモラルな行動は光が「目の前で同じ側に居る人間が悪を行ったときに正すことができるか」をテストしたと考えると納得がいきやすい。

 フレデリカとの関係(または、レイジーレイジーとそれに応対するプロデューサーとの関係)では「理解させない」で一貫している。天才やギフテッドという特性は常人から理解できないところが特徴なので、それが正解である一方「なにも情報がない」ままでもある。

 フレデリカとの会話中のテキスト読み込みは量が多いのでこのエントリーでは諦め。

 

・家族関係

 特に語られていないので情報なし。よいとも悪いとも存命とも如何様にでも取れる。

 

・失踪について

 本人にとっては合理的選択であり、失踪は関係性の中で合理的なワードが選択されたものと考えられる。(イベントの性質上やむをえないのだが)ライブの本番を欠席していないことを考えると、志希がプロダクションと結んでいる契約の文面上、本番で志希(あるいはプロデューサー)にとって問題がない完成度になるならば、あるいは完成度を高めるためには課されているレッスンやミーティングを欠席しても差し支えないと判断できる内容であると考えられる。

 目的に対して最も合理的な選択をしているが、一般的に目的と癒着する価値について志希自身は目的と切り離すことができるので、レッスンに参加することが価値に合致していても目的に対して合理的でない場面で躊躇なく不参加を選択できる。その際に「失踪」という語彙が選ばれるのは、目的と価値を切り離して考えることをしない他者に合わせた表現と考えることができる。

 この合理的選択はアイドルがほかのアイドルといがみ合わないという前提でしか達成できない。

 

 

ここまで私見

 

ここから私情。

シンデレラガールズというコンテンツが自分の中で二巡くらいしたような気がしているので、自分の中で志希について思いを巡らせていたんですけども、今思い返してこれが志希まわりのコンテンツで一番最初に思い出すなーってのがこちらでした。

 

 

匂いのエロティシズム (集英社新書)

匂いのエロティシズム (集英社新書)

 

 

これは一ノ瀬志希の楽曲「秘密のトワレ」の作詞作曲をされたササキトモコさんがご自身のブログで秘密のトワレについて書かれている背景にある本です。

 

この記憶が残っているのは、一ノ瀬志希に付随する「知識」だからだと思っています。なのであとは「ギフテッド」という概念についても記憶に残っています。「ボタニー」もかな。

 

あとはLippsかっこよかったなーっていう記憶が強いです。

 

なんだよじゃあお前はもう一ノ瀬志希のことはどうでもいいんか! 荒木比奈に鞍替えしたんか!

というお言葉があるかと思うんですが、荒木比奈についても頭の中で二巡くらいしてます。しかしここでは一ノ瀬志希Pとしてお話をしようかなと思うので比奈の話は置いておきましょう。

 

「(アイマスにおける)プロデューサー」としては一ノ瀬志希を消費する瞬間と生産する瞬間があります。このうち前者については、クレイジークレイジーイベントなんかもあったんですが、新しい知識が増えたりはしませんでした。志希自体はソロのときの周りを奔放に振り回すキャラクターと、他のメンバーと一緒に出るときの振り回しながら悪になってはいけないキャラクターのあいだのバランス取りがものすごく大変そうで、各イベントのテキストを見ながら、細いロープの上を渡っているようなバランスのとり方にハラハラしながら読んでいるような記憶が強いんです。

で、このキャラクター自体は当初に見ているものとそんなに変わらないので、正直新しい学びは無いんです。知ってるキャラ。同窓会への出席に近い。同じ感情の確認。

 

さて一方生産するときなんですが、生産するときはほかも含めて出来るだけ色々と調べるようにしていて、志希は匂い分野のエキスパートなので匂いについて調べる……というのが大変なのでできていません。びえー。これは机上だけでは実体験が伴わないのと、いい香りを得ようとすると本当に資力が必要になってくるのでそこまでできなかった、というのが強いです。一時期はフレグランスについて多少の興味を持ったりしたんですけど、普段使いできる男物はやや香りが強いというか、方向性が苦手で、掘り下げようと思えなかった。

 

その他についてはだいたいここに書いていたことと同じ。

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総選挙で界隈が盛り上がってるので、今までのことを思い出して連ねてみました。来年も総選挙あるのかな?

そのときはどう思ってるんだろう。楽しみですね。

【感想】レトロゲームファクトリー(柳井政和)

 

レトロゲームファクトリー (新潮文庫nex)

レトロゲームファクトリー (新潮文庫nex)

 

 

現代ものの小説。表紙の二人が主人公で、片方が腕の高いプログラマー、もう片方がレトロゲームにこだわりがあるディレクター。大手企業と因縁を持つ二人が、あるゲームの移植をきっかけに……というあらすじ。

 

それぞれのキャラクターがそれぞれにピーキーで小気味いい。悪い奴は悪く、いい奴はいい。登場してくるゲームは架空の物と実在のものが入り混じっていて、ファミコンの時代を生きた人には懐かしい名前がたくさん。

 

と、これだけの要素だとなんだか人間ドラマがあるのか、という疑念があるけれども、実際には人情モノ。ほろっとするような展開も。

 

レトロゲームは定期的にブームが来て、だいたい十年周期くらいで回っている気がする。十五年前くらいにはトンガリキッズとかが出て、コンビニで8cmCDのついた食玩が発売されてた頃。チップチューンという言葉が出たのもこの頃の気がする。

で、最近ではミニファミコンに始まる懐かしアイテムなど。

レトロゲーム自体はレトロ、というけれども、ゲームとしてはむしろハイエンドゲームが重たくなりすぎている今、ドットだったりチップチューンみたいなものは一つの様式として再度出てきていて、steamにもドットの90年代のようなゲームは多いので、レトロ、というよりもそういう様式美なのだと思って観ていた方がいいと思う。そう言う流れの中にこの本もあるのかもしれない。

 

ジャンルとして確立されているその一方で、こういうものもそうじゃなくても、ゲームは安く叩かれているというイメージを個人的には強く持っているので、この小説を読んでいると、主人公たちは果たして今後どのくらい食えるんだろう、というところはちょっと心配になったりする。

 

本書の中では開発者がゲームに込める思いがあるんだけれど、一方で子どもがどういう風に遊ぶか、というのについては、結論は人間ドラマに負けてしまっていた感じがして、読んで暫くしてから冷静になったらここはもう少し掘り下げてもらえたらよかったな……などと贅沢なことを考えてしまった。人間ドラマの方がテンポも含めて素晴らしいので、そんなに気にならないんだけど、子どもたちはもっともっと自由に遊んでしまいそうだな、と思ったのだった。

 

キャラクター的には拡がりがあると思うので、2が出て欲しいなー、という気持ち。

環境構築してるときが一番楽しい

iPad air(2019年モデル)を買った。

Apple iPad?Air (10.5インチ, Wi-Fi, 64GB) - シルバー

Apple iPad?Air (10.5インチ, Wi-Fi, 64GB) - シルバー

 

もともとゲームを遊ぶようがほとんどの用途だったiPad mini4のスペックが古くなってきたからだったけれど、iPhoneをSEからXsにしたので、iPad miniとのサイズ差があまり感じられなくなりiPad airに移行することにした。値下がりもしないので、それなら大型連休前に買ってしまったほうが使う機会も多いだろうという判断。

 

新しい端末は環境構築しているときが一番楽しくて、ケースを選んだりフィルムを選んだりしているときが、お金はかかるけど一番わくわくしている気がする。Apple pencil対応のケースにしようかと思ったけど結局今までと同じ使い心地のものにした。ケースは通販で買ったんだけど、重さをチェックできないのはしまったなと思っているところ。持って出かけることもあまりないと思うけれど。

 

それとは関係なく、PCでtwitterを見る環境をjanetterからtweetdeckに変えてみた。こちらも環境構築にえっちらおっちら。ツイートの方法の手癖を変えないといけないけれど、twitter公式なのでAPI制限がないのか、タイムラインが爆速で流れていくのが楽しい。

 

環境構築をしていて、ふと、windowsXPのときにシェルを変更するとかカスタマイズで遊んでいたことを思い出す。そういうのを晒すスレッドのまとめとかもあった気がする。アイコンとか。

結局windowsのシステムに更にかぶせることになるので、結果見た目はいいけど使い勝手が悪くなったりするし、windows vistaからはそういうこともできなくなった(はずな)ので精々クイックランチャーを置いたりする程度に落ち着いた。

 

けど、こういう環境構築って自分の身の回りの情報の巡り方が変わるから意外と大事だな、とふと思いだしたのだった。昔RSSでニュースを集めていたころを思い出す。

twitterももう十年以上使われているわけで、昔は「100人以上フォローすると景色が変わる」みたいなこと言われてたけど、今はtwitterを使っている人口そのものが多いから100人なんて大した量ではない。でもインターフェースはそんなに変わっていないので、その分流通している情報の価値が変動してしまっている。

そろそろ、twitterでなにか受信したり発信したりするのは限界が近づいているのかもしれないなー、と思い、アンテナ立て直さなきゃ、と思ったりしたのだった。

 

”新規楽団”においては第一党ムーブに気を遣って欲しい話

かなり前の話なんだけれども「コントラバスが欲しいんだよね」と、楽団に奏者として誘われて断ったことがあったんです。

なんというか、誘ってくれた人に恨みは無いけれど、そこの楽団にはいろいろあって関わらないぞと決めているので、特に躊躇せず断りました。

逆に言えば誘ったって参加しないことは断られた相手方には分かっていたと思うんですよね。同じ「いろいろ」を共有したのですから。

 

それでもその人が自分のことを誘わざるを得なかったのは「コントラバスが足りてなかった」だと思います。まぁ、そんなに持ってる人が豊富に居るものでもないですからね、コントラバス

 

上記の前置きをなぜ挙げたのかですが「人」と「楽器」が両方必要なのが楽団です。「私」と「コントラバス」はセットで「奏者」として楽団に参加します。また様々な例外はありますが、基本的に楽器は高価なので、貸し借りはあまりないと思います。

一方で楽団には一般的に「定員」があります。定員に多少足りなくても成り立ちますが、ちょうどいいバランス、曲が問題なく成立するくらいの人数が集まらないと楽団として動き出せません。吹奏楽だと大編成と言われるもので40人前後かな?

 

そのため「人と楽器を募集しなくてはならない」「多すぎると断らなくてはいけない」「足りないと成立しない」という条件に縛られ、新設楽団はオープン募集を始めます。

オープン募集してもそれでバランスよく集まるわけはないですから、実質的には先にある程度中心メンバーが集まっていて、そこにプラスで人を足す形で成立させていくとというのが普通のやり方だと思うんです。

そういう募集の仕方をすれば当然、楽団には第一党と、そのほかの人達という差が産まれます。人が集まれば当然コミュニティが出来ます。

 

ここで第一党、つまり中心メンバーの人達は「自分たちが第一党である」ということに自覚的に動いて欲しいんです。具体的には「それ以外の人に気を遣ってよ」ということです。たとえば、

・第一党ではない人に積極的に声をかけていく、ちやほやする

・第一党の人達が過度に固まりすぎているのをバラして新しい人と混ぜる

こういうことです。多少過激なことを言うなら、それをやらないんだったら募集の時点で奏者という「楽器と人のセット」のうちの「人」については一切ケアしませんと説明が欲しい。

 

何のために音楽をしているのかという理由は人それぞれだと思います。曲の為かもしれないし、楽器そのものかもしれないし、もしくはそのコミュニティかもしれないし、それらが組み合わさってることがほとんどだと思います。

第一党に居ると気づきづらいんですが、自分が第一党じゃない場合に第一党の存在に気づいたときの「外様感」ってすごい強いんです。曲や楽器そのものの為に来ているんだったら構わないのかもしれないけれど、コミュニティの要素を大事にする人は疲弊するのではないでしょうか。

 

とはいえ、一応「募集」という形式をとっているのだから、第一党なんて居ないよ、というのならそれはそれでいいと思います。「新しいところに入っていくんだったら、自分から前に出ないと駄目でしょ」これも正論。(実際は”募集なので第一党は居ません”という嘘が先にあるんですけど、ややこしいので割愛)でも第一党ムーブをしておくといいこともあると思うんですよね。まず危ない人を排除できる。大体40人くらい居るとちょっとおかしな人もそれなりの確率で混ざります。こういう時に声をかけて回っておけばその人がヤバそうでも早い段階で対処ができます。

 

ここ十年くらいで、楽団は地方、地域依存からタイトルやジャンル毎の開催への転換が進んでいると思うんですけど「奏者は公募だよ」としておいて、実際には既に出来上がっているコミュニティの欠員募集であるパターンがあるようです。自分も経験があるし、身の回りからもちらほら聞きます。それって「奏者」募集じゃなくて「楽器」募集ですよね。

それはそれで、利害が一致すればいいとは思うんですけれど、一致するかどうかすらわからないので、できれば第一党がいるのかどうかはっきりした状態で募集をかけていただくか、もしくは第一党が居るなら第一党ムーブをしてほしいな、と思うのでした。

傍観者のシンデレラガール総選挙

今年もシンデレラガール総選挙がやってきたらしい。

 

飛び交う情報を見ながらぼんやりと考えていたのでそれをメモっておくんですけども、この話たぶんここから先で立ち位置をちゃんと決めなきゃわけがわからなくなるので、先に整理しておくことにします。

 

これを書いてる人について。

モバゲー版シンデレラガールズは何かあったときにしか起動しません。2018年度は総選挙のあいだにログインボーナスで投票権を得て使うのと、蒸機公演のストーリーを見るためにしか使いませんでした。

スターライトステージはここ一年くらいはゆるゆると。以前はmaster全曲フルコンするぞ、イベントはSR各種ゲットだ、くらいに思っていたけれど、今は営業でイベントSR両方取れればいいや、たまにイベント曲も遊ぼうかな、というくらいで、手に入れたけど親愛度が上がり切ってないアイドルが大量に残っています。

シンデレラガールズ劇場のアニメは観てる。漫画もだいたい読んでる。ライブは気になったのだけちょこちょこ。

二次創作でよくブルーナポレオンの話書いてる。同人誌を作ったり、SSのオンラインイベントに参加したり主催したり。

 

これから書く「立場」について。

総選挙を軸に「受け身の参加者」の立場で「積極的なプロデューサーがこういうことしてくれたらいいのに」という観点で「総選挙」について書いてみます。これから書くことは「なんて他力本願なんだろう」ということなんです。

ただ、情報の発信者、受信者の双方に利益があることが書ければいいなと思って書いています。

 

なんでそういうことをしようと思ったのか。

興味のあるキャラはおおかた声がついていることもあって、2018年度を受け身なプロデューサーとして過ごしていたんですが、自分がいろいろ観測していた範囲では全然情報量が増えてませんでした。情報量が増えてこないってことは、自分の投票行動は去年と同じってことで、つまり自分から見える範囲の人がしていた選挙活動は選挙活動としては成功してなかったんじゃない、という風に感じてしまったからです。

 

情報量が増えるってどういうことですか。

ここでは「投票に繋がる」ことを考えてます。なので、いくらキャラクターのイラストを大量に観ても投票行動に繋がらなければ情報量は増えなかったものとします。

 

 

このままでいいのか選挙活動

タイムラインで観ている選挙活動の多くは、このキャラクターがいいぞー、投票してください! みたいな感じで、キャラクターの画像やイラストを描いたりそれをRTしたりなんですけど、それ、本当に有効手なんでしょうか。

これを「やる」のか「やらない」のかという二軸で語ればそりゃ「やる」になるんだと思うんです。しかし「RTをする」のもリソースは喰ってると思うんです。RTをする人も、RTを見る人も。有限のリソースの使い方はそれでいいのか。やるだけやって空転だけしてないか。

 

ちょうど地方選挙が活発な時期なんですけども、世の中の選挙を見てて、単純にその候補者の画像がいっぱい流れてきて好感を持ったり、投票しようとしたりするか。しないと思うんですよね。

 

いや、そりゃアイドルと政治家じゃ違うだろう、ってなるとは思うんですけど、じゃあ「誰に向かって選挙活動をするのか」って考えてみたらどうなるか。

A既に担当アイドルが居て、投票行動するユーザーから票を得る

B既に担当アイドルが居て、投票行動しないユーザーから票を得る

C担当アイドルが居ないけど、投票行動はするユーザーから票を得る

D担当アイドルが居ないし、投票行動もしないユーザーから票を得る

シンデレラガールズに興味ないひとをユーザーにして票を取る

 

たとえば大量に回ってくる画像のRTなんかはどこに刺そうとしているのか。Cあたりでしょうか? Cってそんなに数居るんでしょうか?

 

なんで投票をするのか、というと「メリット」があって、それを享受できる見込みがあるか、もしくは享受できたから投票するのだと思うんです。言ってしまえば誰かをシンデレラガールにしたい、選挙上位に入れたいと思う誰かだってその活動自体か、もしくはキャラ愛を味わえる「メリット」があるわけだから「メリット」に添わなくてはいけないと思う。

なんもしなくても湯水のごとくTLを通り抜けていく画像が何枚か増えるのって、メリットたりえるのか。

もって明確に

「今まで投票していなかった人が投票する」→B・Dから票を貰う

「新たにシンデレラガールズのユーザーになってもらう」→Eから票を貰う

をしないと、空転なんじゃないの? と思ってしまうんです。ということでB・D・E層へのメリットを考えていきます。

 

メリットって何だろう

アイドルにおける総選挙への投票は「そのアイドルのリアルタイムなストーリーへの参加」だと思ってます。AKB48をはじめとする現実のアイドルもそうじゃないでしょうか。インタラクティブな、変化あるコンテンツの一部に自分自身もなること。二次元アイドルで言えばミリオンライブは投票の結果、そのキャラクターでお話ができる、ということをやってた。ということでそういう観点で更に掘っていきます。

 

話が増えてない

去年のシンデレラガールズ総選挙のお話は「7回だから安部菜々がシンデレラガールになれるか、それともニュージェネで唯一シンデレラガールになってない本田未央がシンデレラガールになるか」でした。

今回はいまのところ「ニュージェネで唯一シンデレラガールになってない本田未央がシンデレラガールになるか」だけです。

いやそれお前の観察範囲が狭いだけじゃねってなると思うんですよね。そうです、自分は今「観察範囲が狭い人」の話をしてます。でも多くの人は自分よりもっと観察範囲狭いと思うんです。

 

いやいやお話もっとあるじゃんさっきあんた蒸機公演読んだって言ったでしょ。ここでご注意いただきたいんですが「蒸機公演」ってもう終わった話なんです。もっと言うとTLに現れるほぼすべてのシンデレラガールズに関わる情報が「過去の情報」なんです。

ご新規の方にとっては、過去のお話はどれだけその想い出が良くっても過去の情報です。リアルタイムで享受できない以上、それをもとに投票しよう! とはなりにくいと思うんです。投票したところで過去ですから。

現実のアイドルなら、どのアイドルもリアルタイムで活動しているので、常に「今」の情報が増える機会に居ることができるんですけど、架空のアイドルはそうはいかない。シンデレラガールズではどのプラットフォームにどのアイドルが出るかをユーザー側からはコントロールできないので「今」参加できるコンテンツがあるとは限らない。

 

じゃあお話を作ればいいんじゃないの。

既に発表されたものが全て過去であり、いつ新しいお話が出てくるかわからないのであれば、各アイドルのプロデューサー側で新しいお話を作っていくしかないと思うんです。それは物語を書け、ってんじゃなくて、ユーザー、もしくはこれからユーザーになる人が「今」参加できる何か動的なコンテンツが必要なんだと思うんですよ。

熱心なプロデューサーさんが何らかの理由でそのアイドルに熱を挙げるのは判る。でももうその原体験を他の人は同じ方法で追っかけることは不可能なんです。過去だから。だから同じアイドルを担当してもらうには「今」しかない。「今」動いてるものが欲しいんです。

 

と、いうことを考えていたのでした。

誰かの参考になれば。

観たもの読んだものの話 190414

最近新たに観たもの読んだものについての話。

 

グリーンブック(映画)

https://gaga.ne.jp/greenbook/

映画の公式サイトは勝手に動画を流し始めるのやめてほしい。

1962年にジャマイカアメリカ人(黒人)ピアニスト、シャーリーとのライブツアーの運転手をイタリア系アメリカ人(白人)ヴァレロンガが務めるというお話。つまりはヴァレロンガの黒人に対する意識が変容していく、というもの。

非常に「バランスがいい」映画で、過度に不快感を催すようなところもなく、メリハリはしっかりしていて、観た後に残る感情もとてもすっきりしている、さらっとした映画。

直後に挙げる「ブラック・クランズマン」とは「映画」の立ち位置がまるで違っていて面白い。あまり作品と関係ない文脈を交えて作品を見るべきじゃないとは思うけれど、扱っている題材から考えていけば、作品単品としての観賞と、同時期に映画としてブラッククランズマンとグリーンブックが現れ、それぞれが得た評価、というのも一つの物語として考えてみるのが面白いと思う。

 

ブラック・クランズマン

https://bkm-movie.jp/

映画の公式サイトは勝手に動画を流し始めるのやめてほしい。

アフリカ系アメリカ人(黒人)の巡査となったロンがKKKの潜入捜査をする、というお話。とはいえ、実際に現場に行くのは白人なので、無理なことをもしやったら、というコメディの映画ではない。

最後に一撃ぶんなぐってくるので、こちらの「映画」と上述している「グリーンブック」における「映画」というのは、同じ種類の題材で、同じ劇場で放映されるけれども、だいぶ持っているものが違う。何かの役割を果たそうとしているかどうかはともかくとして、結果として観客に何かを与える、その機能は全く違うところが面白い。

これも「せっかく同時代に出てきたのだから」グリーンブックと一緒に観てみるのをお薦め。

 

スパイダーマン:スパイダーバース

http://www.spider-verse.jp/site/

最高にクールなアニメ映画。

自分はマーヴルヒーローものについては格ゲーのマブカプと、映画でデッドプールを1と2観た程度の知識しかないのだけれども、そういうことは一切問題とならずとにかくこの単品だけで観て最高なので是非観ていただきたい映画。

この映画について話すために(日本の)アニメ映画を批判するというのはうまくないような気がするけど、アニメ映画の表現方法として出来上がっているもの、CG映画との表現方法として出来上がっているものがあって、その文脈を踏まえつつ「コミック」的な表現を加えてかっこよく仕上げてあるというのが素晴らしい。映像が楽しすぎてテンションが上がりまくる。

かつ、日本で話題になっている「ペニーパーカー」ちゃんの描写が、メインではないけれども、アメリカ的でありながら同時に「日本人にちゃんとウケる」キャラになっているのが凄い。これ、このまま進化していったら日本のギャルゲーとかアイドルゲーの文脈をどんどん持っていかれてしまいそうである。

あー、放射性のクモに噛まれて最初から説明したい!

 

1984年(ジョージ・オーウェル

 

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

 

 1949年に発表されたSF小説。全体主義、完全な管理社会のディストピアを描いた作品。とにもかくにも「管理」に関する着眼点が素晴らしく、国内を流通する「言語」をコントロールすることで思想をコントロールしていく(反社会的思想を語るための言葉を奪うことで反社会的思想を封じ込める)という発想が素晴らしい。

この作品の中で、最高指導者である「ビッグ・ブラザー」のポスターが街中に貼られ、どの角度からでも自分を見ているように思えるという描写や、テレスクリーンを通して監視されている、という描写を通じて自分たちの世代なら当然思い出すのが「ドラえもんのび太の小宇宙戦争(リトルスターウォーズ)」であり、リトルスターウォーズの発表年が1984年。藤子先生……!

メタルギアソリッドV」とも関連が深くて面白い。

 

 

ひとりぼっちで恋してみた (田川とまた)

ひとりぼっちで恋をしてみた(1) (ヤンマガKCスペシャル)

ひとりぼっちで恋をしてみた(1) (ヤンマガKCスペシャル)

 

 表紙観て買うかもしれないなと思って結局買った漫画。

ドジな女子高生が恋をする漫画なんだけれども、これはどうやらメイン題材は恋ではないなというところで一巻が終わった。胸キュン床ゴロゴロする漫画かなと思っていたけれど、突き付けられたそれはそれで最後まで見届けないと……という感覚になってしまった。ヤングマガジン系なので最後の最後まで不安な思いで楽しめそう。

 

 

君のくれるまずい飴(冬虫カイコ)

君のくれるまずい飴 冬虫カイコ作品集 (ビームコミックス)

君のくれるまずい飴 冬虫カイコ作品集 (ビームコミックス)

 

 少女たちが主人公の陰鬱な短編。感情が爆発するでもなく、胸糞悪い、というのともちょっと違って、テンションが低い位置で不快な音を立ててるような作品が並ぶ。最後にひょっとして何か明るい情報が……と思ったところでそんなことは一切ない。

けものフレンズ2についての話

録画してたけものフレンズ2をようやく観終った。

今みたのでちょこちょこTLを流れていく感想が先に入ってきてる状態。

 

人がけなしているものであるほど「そんなに悪いもん?」と思いながら見てしまう癖があるので、そういうバイアスがかかっている、と理解したうえで、そんなに悪いもんかなぁ、と思ってしまった。

 

思ってしまったけれども、一方で面白かったか、というとそこまで面白いもんでもなかったのは事実。なぜならこの作品、終始一貫して諸要素への明言を避けている。なんていうか、素材、伏線、材料、それだけで終わる前提を持ってて、そのうえでなんとなく打てるピリオドだけ打った感じ。

 

ということで、けものフレンズ2、というひとかたまりで見るとそんなに面白くない。というか、面白くなる要素が特にない、という感じだと思う。

 

1は一貫してたアニメだったなとは思うけど、でも要素の大部分は解決してなかったはず。ジャパリパークってなんやねん、海の外には何があったん、世界はどうなってるん、というのを視聴者としてはなるほどなー廃墟ものなんだ、かばんちゃんとサーバルの関係良かったよね、という「できる解釈」をして、それはうまいこと誘導されてしまったという感じ。これは前作はとても上手だった。結果としてはいろんなものが未解決のままでも全然オッケーって思ってしまった。

 

1を見て2を見たら当然のごとく「ああっなんか気持ち悪い!」という感覚になると思う。それを「気持ち悪いのは○○のためだ!」と結論付けるとだいぶすっきりするもんだと思う。が、それを今流通してるけものフレンズ2批判文脈に沿って「良い/悪い」でジャッジするのは、はてベターな考え方なんだろうか。

「あ、しまった前作のことオッケーだって思ってたけど間違いだったか?」って思えなかったら、もう「前作面白かったのになんで違うことするんだよ!」って思うしかない。2は1に対して順当にした解釈に対して全部「違うかもよ」を渡してきたという感想に最終的には落ち着いた。それを狙ってやったんじゃないかな、と思ってる。

 

けものフレンズ1はけものフレンズ2の否定である、というのは間違いではないけど、それはけものフレンズ1が正解でけものフレンズ2が不正解だ、とイコールではないはずで、ひょっとしたらけものフレンズ1で自分が面白いって思ってたのは、ひとつの解釈の方法にすぎないんじゃないだろうか、という考えをしたほうが、面白く拡げられるような気がした。

 

で、作品を巡るいろんなものについては、なんか残念なことになっちゃってたなぁ、というイメージ。ゴシップ記事じみた本当か嘘かわからない噂と、意味ありげな前監督のツイートで、完全に作品を作品として見る土壌がなくなっちゃってる。

加えて、それでも「1っぽく作ろうとしてる」のが更に良くなかったのかも。それ自体は結果論だけど、前監督作品に通じてあったキャラクターの動きのテンポとかカメラとか、そういうのが失われてしまっていたので、むしろがらっと作風を変えて本来新監督が得意とする分野で戦った方がよかったんじゃないかと思う。そんなに新監督の得意分野を知らないけど。

 

そういうことがあったから、なんかすごくマイナスブーストがかかっちゃったなぁ、と思って最後の方を見てました。

 

まとめます。

けものフレンズ2はそんなに面白いとは思わなかったけど、1が正解で2が不正解だとは思わない。

自分の1の解釈が間違ってたのかも、と思えたところは今後に期待。

2を否定しないからといって1を否定しているわけではない。

作品と関係ない場外乱闘が多すぎて残念だったね。

 

こんな感じです。場外乱闘を場内に持ち込むのは苦手。世界観についてまだわかってないところは新情報が欲しい。

 

感想は大体以上です。