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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

2016年を振り返る話 その3 観たもの読んだもの編

もう30日のうえ明日コミケで早起きであんまりしっかり書いてる時間ないんですけどー!

 

でもちゃんと〆ておきたいので書いておきたいと思います。

 

■映画編

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今年は「シン・ゴジラ」がやっぱり一番良かったな! と思います。そのあとに「君の名は」とか「この世界の片隅に」とかいろいろ名作が重なりましたけども、そっちの印象が強くなっていくからこそもう一度「シン・ゴジラ」が良かったよね! という話をしたい。

シン・ゴジラでなにが楽しいかって言ったら自分はやっぱりシーンごとの画面情報量の多さだと思います。これはほか二作を大きく引き離して一位だと思うし、たぶんその情報量が多いっていうことに気づくためにはそれなりの素養というか、映像を見まくってないと、そこが印象だけで終わってしまう人も多いんじゃないかと思う。

ストーリーでいったら、それこそ「君の名は」とか「この世界の片隅に」のほうが楽しい。人間模様がちゃんとあるから。それはそっちに軍配挙げちゃっていいと思う。でも映像の楽しさはシン・ゴジラが一番だった。映画あんまり繰り返さない自分が二度目を見に行った。

じゃあシン・ゴジラの映像がどこが楽しいのか、っていったら全部楽しい。特に刺さったのは、ツインタワービルの間を通っていくヘリの編隊と、会議室にコピー機が配置されるシーン。

「そこにあるもの」がカッコイイものなんだ、ってことに気づかせるのってすごく大変なんだと思うんですよ。普段使いのボールペンだって、よく見れば美しい形をしている。普段使っている組織や仕組み、サービスのシステムだって、優れているものは美しい。でもこの「機能美」は、美しければ美しいほど当たり前に手に取られるんです。

でもその美しさを映像に出力することができてるから「シン・ゴジラ」はすごい。

 

と、思います。よって今年一番面白かった映画は「シン・ゴジラ」にします。

 

■小説編

弾丸スタントヒーローズ (集英社文庫)

弾丸スタントヒーローズ (集英社文庫)

 

最近、小説関係はいろいろと厳しい実情があるのか、帯に「最後の文を読んだとき、あなたは涙する!」とか「大どんでん返し!」とか、そういうのがついてて、どんなもんじゃい、と思って読むとそうでもなかったりするのが残念です。経験的に、今までそういう帯がついててそう思わされたことがないので、これからさきは避ける理由になっちゃう。

 さて。小説もそれなりに読んだけど、美奈川護さんはもっと有名になってほしいと思うので美奈川護さんを推す。

「ギンカムロ」のドラマはちょっと物足りなかったなと思うけど「弾丸スタントヒーローズ」は結末を早く読みたくて、最終的に電車を降りたホームの上で読み終えた。

小説を読んでいて止めることができなくなるような作品に出合えればうれしいと思うけど、今年はこれがそうでした。「僕が愛したすべての君へ/君を愛したひとりの僕へ」も仕掛けやバックグラウンドが面白かったけど、熱量的にはこちらをとにかくオススメしたいです。

 

■マンガ編

本当は「ドロップフレーム」を全力で推したかった。アレは絶対に化けることができる漫画だったと思うのに。そこら辺の話はいつか書きますよ。打ち切られてもドロップフレームは面白かった。それもそれでお薦めです。

「ドロップフレーム」が打ち切られてしまったので「かぐや様」を推したいと思います。これ、表紙だけだとどういう漫画かわかりづらいよね。一瞬ヴァンパイアものかなって思うくらい。でもギャグです。

「お可愛いこと」っていう声に出したいセリフがあるのが一番強いと思う。

 

ではほかの漫画はどうだったか? っていうと、平均して面白かったけど、熱量が爆発したものもそこまで見つけられなかったな、という印象。この漫画がすごいの一位にトネガワが入っているというのは、そのまま不作の印象を強めたと言っていいと思う。オンナ編は「金の国水の国」も「春の呪い」も面白かったけど、どちらかというと漫画好きでよく買ってる人向けだと思う。普段マンガ読まない人にも進められるのは「かぐや様」ではないでしょうか、ってことで今年はこれが一番としたいと思います。

 

ちなみにこれからに期待しているのは「あげくの果てのカノン」です。今年から来年にかけては八十八良先生がプッシュされていくのかなと思いますが、作品の面白さ以上にプッシュされすぎてうーん、ってなってしまう未来も見えなくはない。でも好きな作家さんなのでとても期待しています。

 

■アニメ

後日「ぴよんち」にて語りたいと思われます。

 

 

そんなわけで、2016年はこれが最後のブログになるでしょう。今年も一年間大変お世話になりました。皆様、よいお年をお迎えください。

2016年を振り返る話 その2.5 志希にゃん小説書いたよって話

コミケ91でデレマスの志希で小説を出します。

 

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こだわったところ箇条書き。

・Pの個性を隠す、でも話に絡ませる(一人称を使わずに文を作る)

・LiPPS全員の個性をそれぞれ発揮させる

・本家のモチーフを逆手に取る

・自分なりの志希像を出す

・冊子に匂いをつける

 

二次創作ものの小説で気を遣うのは、ちゃんとそのキャラクターに没入してもらうために、とにかくそのキャラクターが言わなさそうなことは絶対に言わせない、ということです。

それなりにお勉強をします。既存媒体をできるだけみて、二次創作のどこで自分が違和感を感じたかを把握して、キャラ同士の呼称表とかチェックをして。

 

で、二次創作だからできるだけ自分のエゴをそこに滑り込ませたいなと思うわけですが、それをしつつできるだけ文章として色気が出るようにして、読みづらくならないようにして、でもちゃんと起承転結がつくようにすると。

 

キャラクターにもよるけれど、この二次創作は大変でした。

最初は志希を挫折させてやりたいというちょっと歪んだところからスタートして、あとはこういうシーンは作ろうとかして組み立てていったんですが、途中からとたんに志希を動かすのが大変になりまして。解釈をしなおしたりしてとりあえず、自分としてはまあいいか、と思うところまで持っていきました。思った以上にドラマを作るのが大変で、後半は字数の割に悩みながら書いていたような気がします。

 

それでも入稿自体は一カ月程度の余裕をもってできたので、それなりに文章は綺麗に作れたと思います。お楽しみいただけましたら幸いに存じます。

 

色んなキャラを動かしていて、結果好きになったのは奏でした。ドラマづくりで考えたら一番動かしやすくて自分の書き癖と相性がいいのが奏。一方一番動かしづらいのが志希。

 

志希(フレデリカもだけど)は悩んだり、ぶつかったりするキャラクターじゃないので、あまり長く、あからさまに悩ませたりすると本来のキャラクターから遠ざかってしまう。でもなんかぶつかってもらわないとドラマにならない。そこの匙かげんが大変でした。LiPPSの話なのに、一番回数を参照したのは「つぼみ」版志希の特訓エピソードコミュ。

 

シリアスな二次創作を表に出すのはのぞえりに続いて二つ目ですが、どうにも元のお話から離れられなくていかんなと思っています。巷の志希フレとか観てると最初から同居設定になってたりして頭が下がりますね。自分も頑張りたいものです。

 

なにを頑張るのかよくわからないけど。

 

ということで、Pとして頑張りました。

表紙描いてくれたnotAyako氏、文章チェックしてくれたカブレラ氏に多謝。

C91三日目東メ-51b "Hexdrunk"にてお待ちしております。

2016年を振り返る話 その2 クリエイト編

前回に続きまして、今回はなに作ったかについて振り返っていきたいと思います。

2015年もいろいろ実現した年だったんですけども、2016年もそれなりにいろいろやりました。

 

■1~2月くらい

オリジナルキャラクター企画「くもがみちゃん」始動したころ

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きっかけはたまたまギャルゲーの話をしていたことから。なんとなく「アマガミ」への熱が周囲でにわかに再燃し、そう言えば最近はアイドルものは多いけど、いわゆるギャルゲー、恋愛モノのゲームって見なくなったなぁ、というところでお話をしていて、そこからいつのまにかオリジナルキャラクターを作ってみようよ、というところまで行きました。

言いだしと、設定と、テキスト、スケジュール周りをやっております。

キャラクターはどうしても、物語だったり、存在感を作り切るまでに時間がかかる、たとえばアイマス、デレマス、ラブライブだって最初は数年かかってようやく認知されてるわけで、商業ベースですらそれなので、同人の我々はもっと時間がかかるはずです。

なので、さいしょに「長くやります」というお約束からはじめました。もうすぐ1年、でもまだまだこれからです。高い高い山の一合目にも届いてない感じ。

ちなみにくもがみちゃんはようやく2/12のコミティアでオリジナルキャラクター企画として出典する予定です。まだ数年間は、とにかく知ってもらう、をつづけることになるかなと思っています。

 

 

で、1~3月はそれ以外の目立ったアウトプットがないみたいです。ただこの名前じゃないところでやってたってこともあるのと、GAMEバンドの本番が近づいてきたってところが大きいんだと思うんですけどね。

 

■4/24 M3春 ととΘωθ CD新作リリース

ととΘωθ -課題図書系音楽サークル-

既存作品をもとに音楽を作ろう! 企画でCD二枚目。スケジュールの動かし方は少しずつ判ってきたので、もうすこし知られるためにどうしたらいいかなというのを考えているところです。2017年のための動きはいま少しずつやっております。2017年のM3春には間に合うと思う。

 

■5月 一年間で50万字書く

2015年の5月から一年間で50万字書くぞ、という個人的な目標、無事達成できました。単純に自分に課していた縛りだったので、誰がどうこう、ということは一切ないんですけど、こういう「とにかく書いたよ」という経験は何より自分に作用するなと思っています。

ちなみにこの後「毎日一枚以上絵を描いていく」ということを考えたんですけど、途中で辞めてしまいました。理由は、主に人体のポーズなどを描き表して説明するくらいのことはできるようになったから、です。関節をどう書き表すか、がちょっと身についたので、普段の創作活動で誰かと打ち合わせるとき「ここをこういう感じに」という説明がメモ描きのようにできるようになった。ここはひとつ目標点だったので、それは達成しました。

で、ここから「巧くなる」には、パーツを回数描いて、バランスを取って、慣れて……という段階で、それはちょっと時間がかかりすぎる、時間をたくさん充てないと足りない……と、思ったところに至ったため、そっちは思い切ってストップしました。

上手に描ける、というのはあこがれだしできれば楽しいとは思うんですが、なかなかそこまでの時間を取り続けることが難しいですね。

 

■6月 GAMEバンドREコンサート

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この活動ももう10年です。

MC原稿を作成しました。この時の設定は「謎空間に放り込まれてしまう司会者と観客」というもので、言ってしまえばレベルEのパロディです。

自分はずっとGAMEバンドを「舞台芸術の格式を利用して遊ぶ」絶好の機会だと思っていて、毎度毎度楽しくやらせてもらっています。次回もテーマは決まっております、MC原稿やらせていただく予定ですのでお楽しみに。

 

■8月 コミックマーケット90 ラブライブイズ! マニアックス 発行

ラブライブイズ! 研究会

ちょうど1年前に出したものの続編で補完編です。

あらゆることに言えますが「それどうやって勉強すんの?」というのがあって、僕にとってはそれがポケモンの厳選でした。

いろいろ恵まれてここまでたどり着けて、同人誌デビューみたいなこともできて、恵まれているなぁ、という感じです。

この企画、1冊目がカラー/モノクロ混在でコストが高くなっちゃって、それで色々費用的には大変なところがあったのですが、なんとかかんとか2種分の印刷費はペイできるところまで来ました。

サンシャインは……今のところ企画はありません(笑

 

9~11月は全体的に準備準備でした。

 

■11月 GAMEバンド身内イベント ボイスコント作成

GAMEバンドの身内アンサンブル大会で、音声と画像でやるコントを作りました。アイデア自体は二年位前に思いついていて、周りにも話したことがあったんですが、機会がなく、ようやくこのときに実行に移せました。

可能だったら後日に公開したいなーと思っています。身内とはいえたくさん笑ってもらったので幸いでした。

 

■12月(予定が多い)

コミックマーケット91

1日目 Cozzilla(東V-52a)

・塊フォト魂(塊魂二次創作同人)

お手伝いで参加です。

友人のしまじゅんが創った塊魂本のお手伝いをしていました。この企画、2016年の一年間でじわじわ制作を進めていて、ようやく形になりました。塊魂の人形を作って、現実の風景にモノを散らばして写真を撮ろう、という企画で、実際に4回ほどロケを行いました。モノ散らばすのは楽しかったです。

 

・連打ゲーム読本(コラム本)

ゲームジャンルの日なので、こちらに委託する形で発行することにしました。いっせいさんと一緒に作ったコピ本です。なんだか本を作る気持ちが高まっていたので「やりましょう!」と声をかけてやることに。これは「ぴよんち」の連打ゲーム回がきっかけです。

ぴよんち

7本くらいちいさなコラムを書きました。

 

3日目 Hexdrunk(東メ-51b)

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こっちは主催サークルです。ラブライブイズ本を作ったときの「ラブライブイズ! 研究会」名義だと、ラブライブの活動しかしようがないので、自分が責任者で動かせる汎用的なサークルを新たに作りました。

・あの忘れえぬ日の香り(一ノ瀬志希LiPPS小説)

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これは別建てで書こうかなぁ。宣伝記事と思い出話でね。

 

・友人の結婚式印刷物

完全に身内モノですが、いっしょうけんめい印刷物作成してました。なんとか終わりそうなのでほっとしています。

 

 

2016年もいっぱい作った年になりました。2017年ももっと頑張りたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

映画「この世界の片隅に」を観てきた話

先日「この世界の片隅に」を観てきました。ネタバレはしないようにしておきましょう。

 

konosekai.jp

 

面白かったです。原作未見だったのですが、見終わった後の自分の感覚と、映画として何がどう描かれていたのかを確認するために原作も読むことにしました。

 

ネタバレはしないようになにを書くかというと、この映画を観たときに感じたのは「生」の描き方が素晴らしかったよ、ということを書きたいと思いました。

 

作品そのものが、この時代と人々と主人公すずの生きる姿をそのまま描いたものなので、その「生きる」こと自体に、壮絶だけれど時代性以上の過度なドラマはない。けれども、映像化の際に、その生きる姿の魅力がぐっとクローズアップされるようにきちんと演出されている。

 

些細なところですけれど、主人公すずが、物語の中で男と女のドラマの中にあるときは、ちょっとだけカメラが傾きます。これだけで、すずの姿がちょっと美しく、艶っぽく演出されるんです。元の絵があのかわいらしいタッチで描かれているけれど、その中の艶をすごくクローズアップして出してくるんです。

 

今の時代を生きていると、生活のしかたには定型があって、当たり前のようにそういう生活をしているけれど、足りない、奪われる、失う、そういうことが日常的なところでどうやって生きるか、は、食事も命もそこにあるもので生きていくしかなくて、そういう場面を物語の中で知っておくことはきっと、大事なことだと思うんですよね。

戦後から時間が経って、戦争にまつわる色んな事が、思想とともに発信される日々ですけども、でもそのときにどういうふうに生活が影響を受けるのか、ということには自覚的でありたいよなぁ、と思ったのでした。

2016年を振り返る話 その1 ゲーム音楽の話 の、補足

読み返したら思ったより悲観的だな、という印象を受けたので、補足します。

 

アマチュア楽団の出る幕はないでしょう、と書いた件についてですが、これは「ゲーム音楽を聴こうという人達」という集団の持つテンションを、アマチュア楽団がけん引できないところに来た、ということのつもりで書きました。

 

この中身をちょっと詳しく書きます。

 

作り手と受け手がいるものには、

・作り手側の自分のテンション(個人):1

・作り手側の他人のテンション(集団):2

・受け手側の自分のテンション(個人):3

・受け手側の他人のテンション(集団):4

 

の、四象限のテンションがあると思います。ゲーム音楽を聴こう、という人達の集団の持つテンションは4に相当します。

 

未開拓の分野では、1のテンションがまず高くなります。「こんなことやったら面白いんじゃないの!?」という段階。ただ、これは2、4の人にはまだ前例がないために伝わりません。

 

実際に動き出しはじめると、2のテンションが上がります。「これ面白いじゃん!」となるのは、それが手探りだったり、経験のないことだったりで、掘り進める楽しさがあるからです。

 

2のテンションが上がり、作り手の気運が高まると、4のテンションが上がります。新鮮な体験だからです。

4のテンションが上がると、1と2のテンションがさらに上がります。追い風を受けた状態です。

全体が盛り上がると「これ、お金になるかもしれないな」となって、資本が投入されていきます。

 

この辺までいくと、受け手の人達が慣れます。それがあって当然、という状態になっていくということです。それがあって当然、という状態になっていくと、これまで追い風のあった状態がなくなります。同じコストをかけたとしても、リターンが小さくなっていく。

 

そうすると、どうやったって2のテンションが下がります。人数が少なければ、主体が頑張ることでテンションを維持したりできるのですが、人数が多いと流石に全体を支え続けることが厳しくなっていく。

 

こういうことはどんな分野だって起こります。2ちゃんねるも、AAも、電車男も、FLASH動画も、ニコニコ動画も、ゲーム実況も、ボカロも、だいたいそんな流れです。ゲーム音楽もそういう流れになった。

 

ゲーム音楽はなかなかに特殊なジャンルで、世代差があります。ゲームをたくさん遊べた少年時代を中心に遊んできているものに偏りがあるので、演者にも観客にも、世代に偏りが生じます。

 

そうすると、アマチュアの活動はどうやったってライフステージの制限を受ける。自分と同じくらいの年代、自分と同じくらいの年に活動が始まった楽団は、いま結婚ラッシュが終わりころになり、そろそろベビーラッシュになってきているのではないでしょうか。子どもが生まれ、歳も取れば、過去ほどのリソースは投入しきれない。

 

過去ほどにリソースを投入できず、かつ観る側の慣れによって過去ほどのテンションの高さ、フレッシュさを維持しきれないときに「これまでゲーム音楽を演奏してきたのだ!」という過去の記憶で頑張ってしまうと、思うてたんと違う、と感じてしまうこともありそうだ、と。なぜなら、1が頑張っても、同じ理屈では2や4のテンションをけん引しきることは結構難しいことだからです。

 

と、なると「ゲーム音楽アマチュア楽団」みたいなのはどうなるか。動きとしては初めて突入するゾーンになるわけですが、状況としては「地域の楽団」がモデルとして参考になるだろう、と思うのです。

ゲーム音楽楽団は、地域の楽団とはちょっと成り立ちが違う。だけど、現代に来て、プロのゲーム音楽コンサートが蔓延したことによって、構造がクラシック音楽などのプロオケに対するアマオケの立ち位置に似てきている。

 

なので「維持する」や「ふたたび盛り立てる」ということを考えるときには、これまでみたいなゲーム音楽の文脈ではなく、地域楽団の文脈に寄った方がよいだろう、と思います。これは今までにたくさんの事例があるから、想像しやすいはず。

 

というわけで「ゲーム音楽を演奏してきた私たち、アマチュア」が今後楽しく活動をするカギは「ゲーム音楽についてアマ楽団が何かできる時期は過ぎた」からの「日々のストレスをちょっと軽減する、友達との活動としてのゲーム音楽演奏」への転換だと、思うのです、ということを補足しておきます。

 

ん? 補足のほうが長くない?

2016年を振り返る話 その1 ゲーム音楽の話

2016年は自分にとって、いよいよ自分がなんでゲーム音楽を演奏しているのかわからない年になりました。

 

そんなに明るい話じゃないので、先に書いてしゃっと終えておこう。

過去にこんな話を書いてます。

paperview.hateblo.jp

 

ここで書いたことと2016年に自分が思っていたことはそんなに違ってません。

 

全体的な傾向としては、ゲーム音楽というジャンルの演奏会は格段に増えました。もうアマチュア楽団の出る幕は少なくともゲーム音楽というジャンルにはないでしょう。

アマチュア楽団はゲーム音楽という土俵よりも、地域楽団に近い、情報でつながった縁による楽団ってことでいいと思います。

 

つまりそれはどういうことかっていうと、地域楽団が抱えやすい様々なことを、そのままゲーム音楽団体は抱える/抱えている/抱えていた、ってことです。

 

で、2014年に書いたようなことが、いよいよ現実味を持って自分の身に降りかかってきたような気がしました。

ほかの活動もいろいろしてきたので、自分を相対化していくいいきっかけになっていたこともあるんだと思うんですけども、ゲーム音楽を聴いているとき、なんとなく色々と物難しいことを考えて頭の中がぐちゃぐちゃになっている自分にふっと気づいたのでした。

 

バンドの活動が辛いとかそういうことではないんですよ。ゲーム音楽や、ゲーム音楽活動についてのネガティブな感情ではない。 ただ、活動にまつわる色んな事を考えて悩んだり試行錯誤したり、行動したりしながら、どうにもならない袋小路に居て、結果として面白くない顔をしている自分がいる。

 

そんなことをしてる間に、知ってる人がやっているゲーム音楽演奏会から足が遠のきました。Twitterとかで見るいろんな告知を見て、行こうかなー、を検討しない自分に気づく。RTもなんとなくしてない。それでもいろいろあって行ってみたら実際、楽しんでいる顔にはなっていなかったみたいでして。

 

まぁ、そういうときもあるのだと思う。

 

一時期はプレーヤーでゲーム音楽を再生するのも億劫だったんですけど、これを書いている最近ではまたなんとなくゲーム音楽をプレーヤーから再生するようになってきて、2017年からは次の演奏会のために頑張るようになるでしょう。「ゲーム音楽を演奏する」の中にはいろんな要素があるので。

 

いろんな要素があって、大きな流れがあるからこそ避けられないこともいっぱいあります。自分のチカラだけでも、たぶん人のチカラを借りても、どうしても避けられないこともある。

流石にそろそろ、そんなことを意識しつつ、できることの見極めはしていこうと思いながら過ごしたのが、2016年だったなぁ、という感想でした。

 

あ、ゲーム音楽で一番はまってたのはundertaleです。

その次がデレマス曲……だけどデレマス曲をゲーム音楽っていうのはなんか違和感があるんだよね。

 

次はそれ以外の2016年のことについて書くよー。

個別が先か? 全体が先か? の話

先日、アンケートを実施してみました。多くの方に拡散していただきまして、291票に達したのでとりあえず、回答者の偏りは減らすことができたのではないかと思ってます。ご協力いただきありがとうございました。

 

 

一般的なケースにするために「貸し借り」というシチュエーションを選んだんですが、これを書いたことによって複数の人から「ごめんあれ返してないや」とご連絡をいただきまして、自分はとくに悲しんでいるわけではないということはお伝えしておきます(笑)

 

なんでこのアンケートを思いついたのか? ですが、仕事中の一幕でして。後輩が先輩に、ある案件についての対応を尋ねていました。自分がそれを横で聞いている。先輩は方針を伝えていたのですが、後輩はあんまり納得していない様子。

 

自分はというと「後輩は納得しないだろうなぁ」となんとなく思いながらそれを眺めていました。

ここにはややっこしい問題がありまして。

先輩の考える対策は、通常自分たちが依拠しているルールの中で「できる」対策なんですね。それをすることができる。

ただ、通常依拠しているルールの中で「できる」対策を「すべての案件に平等に適用することができるか?」となると、それはあやしい。

恐らく後輩がひっかかったのはそこなのだと思うのです。後輩は最初に「そのケースを全件に適用できるか?」を瞬間的に考えている。

 

考えかたの広さの違いです。

ある対策Aがルールに合致しているからOKだと考えるか。

ルール上できてもやや特殊な取り扱いをしていると考えると、その対策を全員にすることが問題あると判断できるなら対策Aを取りうるべきでないと考えるか。

個で観るか、全体で観るか。

 

後輩はそういう意味では視点が広い。

ただ、全体を見て動きが鈍くなると、個別ケースの対応が遅れる。もしくは、対策をしきれない。この間のバランスが難しいと思うわけです。

 

というわけで、質問のシチュエーションに戻りまして。

この案件についてはAは本を返せよ、Bはいっぺんくらい催促しろよ、で現実的な対策は出るのですが、いくつか質問に際してワーディングを配慮しました。

Aが3年借りているというのは、一冊の本に対しては明らかに借りている時間が長すぎます。つまりAには明確な落ち度がある。

Bは悲しんでいるということだけを書きました。つまり、Bは貸したものが自主的に返ってこないと、催促をする前にマイナスな感情を抱く。

 

「この件については」Aに返してね、と言えば終わる話だとしても、Bは今後もいろんな人と貸し借りをして、それがかえってこないたびに悲しいと思うかもしれないわけです。

そこで、Bが期日を設定して貸し出すことで、この悲しみをある程度の割合で軽減することができるわけです。何日までに返してね、と言えば、良識ある人はまぁ返してくれますから。

じゃあ、日常的に期日を設定したほうがケースを重ねるなら悲しみの軽減に実際的じゃん。と考える――みたいなことを瞬時にやるくせのついている人は「Bが期日を設定していないことが気になる」んじゃないかな、と思うわけです。

 

その狙いに合致した答えをいただいたかどうかはわからないですが、アンケート結果は概ね4:1で分かれまして、やっぱり圧倒的に個別ケース対応が先に考えられるわけですが、一方で「そんなの期日設定しときなさいよ」という考え方も一定の支持があり。面白いなと言ったところです。

 

どちらがいいか? というのは評価の仕方によって変わってくると思いますが、瞬間的な判断の違いが現れてくることは、意識してみると面白いです。