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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

2024/3/3の雑記 「映画ドラミちゃん ミニドラSOS」に再会する

映画公開と藤子F不二雄さんの生誕90周年を記念して、映画ドラえもんの「映画併映作傑作選」がprime videoで会員特典公開されました。

 

藤子・F・不二雄 生誕90周年記念 映画併映作傑作選 

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0CVK9HW5C

 

つまり今まで殆どソフト化や配信がされていなかった「ミニドラSOS」や「ぼく、桃太郎のなんなのさ」「アララ少年山賊団」などが見放題に入ったのです。これは直撃世代にはたまらない作品たちです。

 

中でも「映画ドラミちゃん ミニドラSOS」は思い出深い作品で、ネタバレは避けますが後半のサスペンス表現が幼少期の自分に怖い記憶として残っていました。

脚本家は「もとひら了」さん。同氏が書かれたのが「パラレル西遊記」「クレヨンしんちゃん アクション仮面VSハイグレ魔王」なので、そもそもこういう子どものどこかに刺さる脚本を書く人なんですね、きっと。

ちなみにwikipediaによると現在は住職とのことであんだけ怖がらせられた気持ちをどこにやっていいかわからなくなりました。

 

公開されたとなれば観たい! ということで観てみたんですが、子を持つ親になってから見るとまた感慨が違います。みんな親世代になっているということもあるし、ミニドラの無邪気さもまた違った感慨としてやってくる。テーマソングにもなつかしさで涙しながら観ていました。

 

しかし作中時間「2011年」がとにかく面白い。1989年の作品なので、その頃に描いた未来ということになるのでしょうが、気球で空を飛ぶレストラン、なんか全体的に流線型の家屋、水の中から棺桶みたいなベッドで出てくるスネ夫。「2011年、こうはなってなかったな」というビジュアルにあふれているのでそれだけでも楽しいです。

 

あと作品中とにかくめっちゃ光ってます。何が光ってるかは観て頂きたいのですがとにかくあちこちビッカビカです。比喩表現じゃなくて実際にまぶしい。

 

ジャイアンの子供が尻はたかれたときめっちゃぷるんぷるん尻が動く。なめらか。

 

のび太(大人)が持っていたキーアイテムはすっごく現実的で、ここの発想はすごいなと思わされてしまいました。

最後まで観たら音楽が田中公平さんでした。びっくりした。

 

ということで非常に楽しく観ました。30分程度の作品なんですが、中身が詰まっていて起承転結はっきりしていてとても面白いです。声優さんの演技も楽しい。公開されて非常に有難いですね。他の作品も観よう。

2024/2/28の雑記 ゼノブレイド2をやっている

ゼノブレイド2をプレイしています。

 

www.nintendo.com

 

ゼノブレイド1のディフィニティブ・エデュションを数年前にプレイしまして、セールで買った3を積んでいて、それなら評判がいいという2を先にやりたいなー、ということで買ってあったものにようやく手を付けたというところです。

 

いや面白いですね。

1と(あとおそらく3と)キャラの表現の方向性がまったく違って、とてもアニメ的になっているけど、1よりもコミカル、またはコテコテなので親しみやすく感じます。世界を歩く感じはゼノブレイド1と同じくで、戦闘システムは慣れるまでは何が起こってるのかわからなかったけれど、すべきことが判ってくればたのしく、飽きがこない。

 

前回もだったけれど独自の世界設定がとてもよく、1と似通ったところがありつつも、全く新しい世界であり、その世界とルールの中で一生懸命生きる人たちと、世界のルールによるドラマがしっかり描かれています。容赦がないけど、だからこそ心に響く、響かせるのに巧い手法です。

 

現在は35時間ほどプレイ、レベルは45前後、少しメインストーリーのクエストでてこずる場面が出てきたので寄り道のクエストを遊んでレベルやアイテムを充実させています。FF7R2と同時並行でやれるかなぁ。

クリアしたらまた感想を書きましょう。

2024/2/13の雑記 演出の言語化について考える

以前にアニメの分野……だと思うんですが、何かの記事で「演出がどんなことをしているか」というようなフレーズを見て、ふっと「そういや『演出』という分野の言語化って難しいな」ということをふと考えました。

 

せっかくなので言語化に挑戦してみたい……と思ったのですが、これがまた難しい。もしかすると近いのは「プロジェクトマネジメント」なのかもしれないと思ったのですが、でも演出家の事は一般的にマネージャーとは呼ばない。しかし、やっていることが大きく違うかというと、オーバーラップしていることも多いような気がする。

なぜ表現分野、たとえばアニメ、映画、芝居、舞台では「演出」と呼ばれる分野が普通にあるのに、そうではない事務仕事、技術分野では「演出」とは呼ばないのか。

ということをいろいろ考えていました。

 

理屈パートに入る前に先に結論を置いておくと「ゴールを受け手の体験の最大化ととらえ、文脈を理解し最大の効果を取るのが演出だよね」と考えました。

 

では理屈パートです。

たとえば「アニメ演出家の仕事とは」みたいなことを調べてみるとこんな記事が出ます。

www.amgakuin.co.jp

 

これは……監督とは違うのか? たぶん違うんでしょう。監督との違いを調べると所掌範囲と権限責任の差が出てきます。

 

じゃあ舞台だとどうだろうか……

www.tca.ac.jp

 

この文章だと「監督を兼ねる」みたいなことが書かれてます。確かに舞台とかだと「演出・脚本・監督」みたいにまとめてクレジットされてることがあるような気がする。映画でもありますね。

両者の差は作業規模が関わっているのかもしれない。

自分でも舞台上の事をやっているとき「これは演出をやっている」と自覚して作業をしていることはありましたが、それが具体的に「なにをしているのか」というと様々で、言葉をいれる、色を入れる、音を入れる、説明を入れる、いろんなことをやっているけれど「これは演出である」「これは演出ではない」みたいな切り分けはあまりないように感じていました。

 

「プロジェクトマネジメントなのかもしれない」と思った件について分析します。

プロジェクトマネジメントが何をするのかについては具体的な表記があり「プロジェクトを成功に導く」というのが「プロジェクトマネジメント」のお仕事だと書いてあります。

つまり「プロジェクト」には設定しチームで共有されている「成功=ゴール」があり、成功のためにするあらゆる行動はマネジメントということです。わかりやすい。「製品Aを完成させる」→「そのためには人員Bが必要である」→「そのためには予算Cと交渉DとスケジュールEが必要である」非常にわかりやすい。

「プロジェクトマネジメント」が必要になるのはプロジェクトが大きくなるほど「人員B」は多く必要で、人員個々がプロジェクトマネジメントを理解しているよりも、人員は完全に作業に没頭してもらって、マネジメント部分はプロジェクトマネジメントを専門にやる人が頑張る方が効率的だからです。船頭が多くなって船が山を登る心配も減ります。わかりやすい。

 

ここまでで引用してきた「演出」のお仕事紹介と、プロジェクトマネジメントのことについてはかなりの領域で応用が利きそうです。人員を確保、交渉やスケジュールを調整していくのは演出のお仕事にも記載があります。

一方でこれは違うかもしれない、という箇所は「成功」の定義でした。「演出」が「成功する」というのはどういうことか。

自分の言葉で表すと「体験が最大になる」ということではないかと思います。

制作物を通して受け手が得る感情が、演出が介入したときと介入しないときで演出したときの方が大きければそれが「演出の効果」で、効果が大きければ大きいほどよくて、最大になれば成功です。

ただし「最大」は数値化が難しいか、またはできないので「演出がうまい」「演出がよかった」といったファジーな評価にならざるをえず、ここが「演出」が「こういう仕事だ」と言いづらいところになるのかもしれません。

 

ミニマムにすれば実作業は簡単です。「青信号の時に横断歩道を渡りましょう」という知識の伝達を演出するとき、赤から青に変わる信号機、横断歩道、停止している車、横断者、そういった「演出物」を用意できた方がより知識を呑み込みやすくなります。こういうことです。

実際に「演出する」というときに必要なものをより分解していくと、まず根本には「青信号の時に横断歩道を渡るということを伝える」という”文脈の理解”が必要になります。ここがもっともおろそかになりやすいところです。

なぜならば「教える」だけで知識の伝達作業は完結するからです。仮に「青信号の時に横断歩道を渡るということを伝える」ということの文脈への理解が乏しくても「青信号の時に横断歩道を渡りましょう」と口に出しておけば「教える」という作業は滞りなく終わっています。あとは受け手にゆだねることができてしまいます。

しかし「演出する」ためにはこの文脈を掘り下げていかなくてはいけません。相手は何を知っていて、何を知らない状態なのか、自分は伝えるために何を使うことができて、してはいけないことはなにか。なんだか授業の上手い先生と下手な先生の差のようですね。

文脈の掘り下げが上手くできないと、適切な手段を考えることできない。手段についての知識が広く深くないと、掘り下げた文脈に対して適切な手段を選ぶことができない。非常に総合力が必要です。「とりあえず目に見えるものを増して演出してみました」では何かを伝えるにも単にノイズが増えるだけでマイナスかもしれない。

 

手段について。たとえば「青信号の時に横断歩道を渡りましょう」と口頭で伝える、このときに「青信号の時に横断歩道を渡りましょう」という語順は適切か、フレーズとフレーズの間はどの程度溜めるべきか、全体は何秒で発音するか、だけでも演出のしがいはあり、ここに身振り手振りを入れる、BGMを入れる、小道具大道具を使う、他のキャストを入れる、となると無限に方法は拡がっていきます。

 

その中で、担当する範囲の効果を最大にするのが演出なんだと思います。実際の作業ではかけてよい時間的、人員的、金銭的コストなどのリソースが決まっているので、その中で最大を目指すことになります。

すばらしく丁寧に演出されたものは狙っていた効果をしっかりと引き出すし、余計な負の効果も生み出さない。それがどういうものか感じたり、学んだりするためには実際の作品を鑑賞し分析し続けていくしかないのだと思います。

 

「作品」ではなくても、日々生きることのすべてに我々は何らかの伝達を行っているわけで、その伝達がちょっとでも伝わりやすくなるようにするのは小さな領域でも演出なのであり、無限に学びであると思います。

 

以上です。「ゴール」が数値化しづらいことが大きな違いだと感じていますが、ゴールを定めるとおおむね「プロジェクトマネジメント」と近いように思います。なんにせよ日々生涯勉強で、ノリと勢いだけではできないものだなと思います。

2024/1/27の雑記 東京ゲームダンジョンに行ってきた

1/20~21に浜松町は東京都立産業貿易センターで開催されていた「東京ゲームダンジョン4」の1/20回に行ってきました。

 

tokyogamedungeon.com

 

上記リンクに書かれている通り、ゲームの展示会ですが各出展者は個人~小規模で、商業よりも作る人と遊ぶ人のコミュニケーションを主軸としているようでした。

 

先に総合的な感想を言うと、幼少期から数十年ゲームを遊び続けていてなんですが「ゲーム」ってのは本当にジャンルが広いな、というもので、そのまま個人の嗜好が見えてくる。本屋で興味のない棚に足が向かないように、ゲームの展示も、ぱっと見て自分が好みそうだと思ったものでなければ触ってみようという気が起こってこない。ゲームというジャンルで括るのは本当に難しい。

そういうことを実感できる「規模」でした。つまりめっちゃ広くて、これだけの個人製作者がいてこれだけのジャンルの幅があるんだよな、ということを知れるということです。

十数年前~数年前のコミケなどでも個人製作のゲームのジャンルは多くあったのですが、ノベルゲームやシューティングに偏っていた印象があり、当時と現代では制作手段の拡がりが相当に違うのだろうと思わされました。知識のアップデートが必要。

 

13時台に到着したのですが、全部を遊ぶのは開場時間では厳しいなという見積もりでした。以前に訪れた「ふしぎなゲームまつり」よりもはるかに規模が大きい。

2023/8/29の雑記 ふしぎなゲーム祭りに行ってきた/「勝てるデザイン」読了 - paper-view

 

会場を歩きながら、ゲームとのかかわり方について考えることとなったイベントでした。

 

現場で遊ばせてもらったり、観ていて面白そうだった作品を紹介していきます。

 

「のへもん」さんの『チョークの叛乱』。

実際に黒板消しを使って遊ぶゲームです。

・攻撃する→黒板消しを二つ合わせて叩く

・回復する→黒板を掃除する

・チャージする→黒板消しをクリーニングする

・ジャンプする→黒板消しを持ち上げる

と、このデバイスがないと遊べないというイベント限定ゲームですが、見た目のキャッチーさとシンプルさが素晴らしい。

実際に動いているところは公式の動画をご覧いただくのがよいと思います。

Chalk Riot - Trailer - YouTube

 

『Keyboard Maestro Voyage』つまるところキーボードマニア的なリズムアクションですが、コントローラーがすごかったのです。実際はmidiキーボードなどを使用するようですがこのデバイスの圧がすごい。

 

km-portal.com

 

『漢字インダストリー』

次々と生み出される部首を組み合わせて漢字を作りラインを構築していくゲーム。漢字がテーマだとついつい遊んでみたくなっちゃう。

store.steampowered.com

 

 

「フツララ」さんの『Culture House』

目を引いたのが会場に置かれていたチラシで、この作品に登場する「物件」の紹介のみで、ゲームについての説明が殆どない、という尖り方。内容としては3D空間を歩きつつ、おかしな場面を写真に取りながら進むアドベンチャーでした。

 

futurala.com

 

実機ゲームボーイで遊べる「マロンの日」

はじめてPlaydate(クランクを回す動きで操作するゲーム機)に触れたりしました。

 

ノベルゲームももちろん盛況。

 

マイクで正しい音程を歌うゲームなど。

 

 

ジャンルが非常に広くて楽しかったです。

またチャンスがあれば行こう。

2024/1/21の雑記 「未解決事件は終わらせないといけないから」クリア

Steamのゲーム「未解決事件は終わらせないといけないから」をクリアしました。

store.steampowered.com

 

ストーリーネタバレはしないようにします。以下は仕掛けについて書いていきますが、仕掛けが大事なゲームですのでご注意ください。

 

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2024/1/7の雑記 RTA in Japan 2023Winterにボランティア参加していました

もくじ。

・ボランティアとしてやったこと、現地の事

・どうして今回参加してみようと思ったのか

 

rtain.jp

 

1.ボランティアとしてやったこと、現地の事

今回のボランティアは「会場管理」という枠組みで参加しました。会場管理がやることは「フリードリンクのレッドブルの補充」「レッドブル缶ゴミの処理」「洗面台が汚れている場合の清掃」「機材貸出対応」というようなところで、作業としては決して多くはないので、難しさは特に感じませんでした。この辺を細かく書いても特に面白味はないと思うのでこんなもんでよいでしょう。

とはいえ、他の現地参加者さんと異なりきちんと「ボランティア証」をいただいておりますので、参加については背筋を伸ばしていました。(コミュニティイベントの性質的にそれが望まれてるとは思わないけれども)一般参加される方は自分らの事を「内側の人」として見るだろうし、必要に応じて運営スタッフさんにエスカレーションすることも出てくる。必要と思った時はちゃんと声を上げる、手伝う、自主的に動く。そのほかのあらゆるイベントのスタッフと変わらぬ動きをする、ということをしていました。

RiJへの現地参加は初めてだったので、そのあたりの空気感を。おそらく一般観覧参加は非常にハードルが低く「行って! 受付して! 観る!」基本このくらい。よって、現地の空気と後述する「ラウンジ」に興味がなければ、Twitchでオンライン生配信されてますので現地に観に行く必要は正直に言って特別にないと言ってよいでしょう。会場のでっかい画面と音響で観られるくらいのものです。時期もお盆と年末です。コミケなどの「現地に行って何か手に入れる」という要素はなくて「空気を感じる」というのが現地観覧の主な要素です。もちろんこれはこれでとても楽しい。

「ラウンジ」は現地参加の面白いポイントで、ここでは色んなゲームを遊んだり、持ち込んだゲームで遊んだり、RTAに触れてみたり、国境なき医師団の展示を見たり、アパレルブランド無敵時間のブースで買い物したりできます。とはいえこの「ラウンジ」参加ですが、初見・単独でぐいぐい行くのはかなり胆力がいる場所だと思います。ここが「コミュニティイベント」の難しいかつ面白いところで、そもそも前提である「コミュニティ」があり、そこが主催するイベントなわけですから、コミュニティに「お客様」として入っていくという思考はマッチしないわけです。面白いポイントですが「交流するぞ!」「自分もRTAやってみるぞ!」「ゲーム文化に触れてみるぞ!」みたいな気合をもって入るか、さもないと誰か走者/解説者/現地参加者と面識がないとなかなか入っていくのは難しいのではないでしょうか。たぶんコミケよりは難しいと思う。

自分の場合には幸いにもいくらかの現地参加者さんと関りがあったので、その流れで交流させてもらいました。コバンザメみたいに呑みにまでいっちゃった。ありがとうございます。あとゲーム持って行っていいならああいう場には家で眠っているサタボン十人対戦セットを持っていくべきだなと思いました。今後の課題とします。

現地の全体の空気は非常に穏やかでした。イベントとしてこういうところが課題だろうなということや、急激に大きく成長したことによる影響などは端々に感じられましたが、今後も頑張ってほしい、とともに可能なことはお手伝いしていこう、と考えました。運営、走者、開設者、各ボランティア、国境なき医師団、無敵時間それぞれご参加の皆様、ありがとうございました。お疲れさまでした。

 

2.どうして今回参加してみようと思ったのか

もともと、Peercastでゲーム実況配信をしていました。おそらく2007年頃に始めて、明確にPeercastでの配信を辞めたのが2010年の9月です。友人と24時間連続配信なども時々やっていました。RTAについては記録に残るようなプレイはしていないですが、ロックマン2やICORTAをしたことがあります。

Peercastを始めた理由はゲーム好きとチャット好きと技術的な興味が高じてで、辞めた理由は、配信中の視聴者その「チャット」が成立しなくなったからです。ゲーム実況は当時急速にレッドオーシャン化していき、主な舞台がニコニコ生放送に移っていき、自分のような弱小配信者でも「誰かが観てコメントする」ということはどんどん少なくなっていきました。

同時に、自分の軸足はゲーム音楽演奏の楽団活動に移っていき、両方を行うことは難しくなりました。当時、Peercastゲーム実況をきっかけに知り合った人たちとも、状況が変わったという話をしていて、全員が楽団の活動をしていたこともありますが、みんな同時にPeercastから離れていきました。とはいえ、特に実況をしていてネガティブなことがあったとかではないので、自然とフェードアウトした格好です。

それからしばらくしてOBSの登場に驚き、Twitchなどでごくごくたまにゲームプレイを配信しつつ、Peercastからおよそ10年、確か2019年冬くらい、コロナが激しくなる直前くらいのRta in Japanをなにかのきっかけで観ていた時、走者の方が「打開しました」と言っていたのを耳にして「Peercastのコミュニティはここに残っていたのか!」という感動を得ました。イベントとしても隆盛期と見て取れた頃で、かつ走者の方の中にはPeercast時代に見た名前も多くあり、本当に懐かしい気持ちになったことを覚えています。

もともと、Peercastも、ゲーム音楽も「ゲームが好き」という想いからスタートしたものだったので、ゲーム好きとしては新旧様々なゲームが遊ばれる現場を非常に楽しく観ていました。それからコロナ禍、外出機会がなくても何か新しいことを探してDiscordをうろうろし、結果、RTA関係の人々との関りも少しずつ増えてきました。

その後、自分自身ではひょんなことから「ドクターマリオ」のRTAをやるようになったのですが、熱い現場に自分も関わりたいと思いつつも、イベントに参加するというほどの腕でもない。そして小さい子供がいては、こういうものに限らずですが、リードタイムが長く、自分一人で責任が負えない活動ほど難しい。ということで、RTAの現場に走者としてというのは難しいと思っていたのですが、単発、単日の参加ならやりやすいな、これなら現場に貢献できそうだ、ということでボランティア参加をさせていただきました。

もともと、イベントのスタッフをすることは多かったので、自分としても参加ハードルは低かったし、イベントスタッフ経歴での自信もそこそこありました。

参加の動機は以上です。何はともあれ、自分はゲームが好きです。箱推しと言えましょう。そしてホットなイベントにはできるだけ触れたいと思っています。以上から参加させてもらい、イベントボランティアとしても非常に楽しませていただきました。参加を通して関わっていただいた皆様、本当にありがとうございました。どうぞよろしくお願いいたします。