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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

続・大洗に行ってきた話(7ヶ月ぶり2回目)後編

前編はこちら。

 

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ホテルで朝食の前に朝風呂。シーサイドホテルのオーシャンビュー大浴場です。とはいえ部屋でもほぼ同じ風景が見れますし、男湯は立ち上がるとそれだけで外から丸見えなので、散歩の人とかがいるとちょっと気を遣います。

朝食を取ってチェックアウト。雨が強くなってきていたので、マリンタワーは上らず一階だけ。シーサイドステーションと併せて観光しました。シーサイドステーションはいろいろあったみたいですが、この辺は合わせて後述とします。

ガルパンギャラリーはちょっと展示が少なくなったでしょうか。映画の理解が深まったので奥の方まで行って、戦車が下ったエスカレーターも観てきました。

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で、ここにきていまさら「るるぶ」を買いました。

 

るるぶ ガールズ&パンツァー (JTBのムック)

るるぶ ガールズ&パンツァー (JTBのムック)

 

 

最初にあればよかったけれど、おそらくもう一回くらいは来るような気がするので、記念に。

 

お昼は少し早めを狙って、行くたびに長蛇の行列を見ていた「かあちゃんの店」へ。海鮮の定食が美味しいお店です。

せっかくなのでスペシャルな定食1600円。ボリューム満点です。でも内容からしたらお安いと思います。

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最後に同行者が聖地巡礼アプリで取り損ねているポイントをいくつかゲットして、今回の大洗旅行は終了となりました。前回行けなかったところにほとんど行けたのがうれしいところでした。もし次回があれば、次回はクックファン(とんかつのお店)や、アクアワールドなんかにも行ってみたいと思っています。

 

以下は大洗について思ったこと。

半年前の旅行でコンテンツツーリズムについて考えてみましたが、こと今回の大洗の件において考えてみて、実際に現地を歩いてみると、ホテル周辺、また海岸を走る道路の地区は「観光地」と言えますが、商店街はそうではない、ということを強く感じました。ここは「ロケ地」ではあるし「ガルパンの聖地」だけれども「観光地」ではない。

 

この土地の商店街は、そもそも土地の人の生活で商売を成り立たせている。外部からも人が来れば潤うだろうけれど、それによって観光者が極度に「観光者ヅラ」するのはちょっと違うような気がする、という感覚がありました。

きっと、コンテンツツーリズム、というのはここをきちんと考えなくてはいけないと思います。ガルパンのように「日常的風景」をその舞台として使うのであれば、きっとこういう、観光地ではない場所が聖地になっていく。そこを観光地扱いしてしまうと、多かれ少なかれ、その土地で暮らす人の日常が壊れることになるかもしれない。

お邪魔させてもらう、という感覚が大事だなと、いくつかのお店を巡って思いました。

 

一方で観光地としてはどうか。シーサイドステーションは経緯と改装とがあって、ゴーストタウン状態でした。今後リニューアルによってどのような変化をするのかが気になるところです。

けれども、大洗という場所はそもそも、商業施設というよりも、漁港を中心に観光を成り立たせていると思うので、果たして商業施設がどのくらいの効果を発揮するのかは、今のところ疑問です。

ホテルのお客さんは思った以上に「ガルパン」関係以外の方も多かったです。おさかなが美味しい、ということは強いのだなと実感しました。これは「ガルパン」熱が無くても、一定以上の賑わいを保つと思います。なによりアクセスがいい。日帰りできる。

 

今回の旅行によって、より行ったことのない場所への興味も深まりました。美味しいものを食べに、また出かけようと思います。

続・大洗に行ってきた話(7ヶ月ぶり2回目)前編

ガルパンはいいぞ

 

もうすこししっかり歩いてみたい! と思ったのと、前回のエントリー以降結局映画のディスクを購入、周りに絶賛ガルパン布教もしていたので再び行ってきました大洗。

 

前回行った時の記事はこちら。

 

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前回は水戸と大洗と合わせてだったので、今回は大洗のみに限定。個人的な最大の目的は劇場版で被弾した大洗ホテルもしくは大洗シーサイドホテルに泊まることでした。

んで、最終的にシーサイドホテルが取れたのですが、おおよそ二カ月前に予約を取ろうとしたのに、各種サイトではどんどん満室情報が。イベントどきでないにも関わらずすごい人気です。なんとか部屋を確保しました。

 

上野から水戸は指定席特急で4000円弱です。常磐線でも行けますが二時間以上かかってしまうので、特に日帰りなら特急がお薦め。今回の旅程ではそこから車でしたが、水戸からさらに鉄道で大洗駅まで行けます。320円片道だったかな。

 

大洗駅も作中で登場してくるので、まんま、って感じです。駅前からキャラクターのいる顔出し看板。

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大洗駅

前回は駅を観れなかったのですが、駅の中にもたっぷりとガルパン関係のアイテムが並んでいます。案内をしてくれるおばちゃんもものすごく親切&くわしいです。すごい。

 

お昼は再びカキ小屋へ。店内にあるコンロを自由に使って、個別会計の材料を買って席で焼いて食べます。カキを中心とした貝類が豊富ですが、貝が食べられない自分もウナギ串、はんぺん、フランクフルト、豚、鶏といったあたりも楽しめますし、鮭ハラス、鮎など魚の焼き物もあるので十分楽しめます。あら汁が200円なんですが、これと白米だけで満腹になりそうなくらいあら汁のボリュームがすごい。店内で定食も注文できるので、海鮮、アンキモ、シラスなどの丼が楽しめます。連なった建物には海産物、農産物のショップもあり。飲食店はこのあたりに固まっています。

 

続いて磯前神社へ。このあたりは劇場版を見ていればすぐにわかるロケーションですね。googleストリートビューでも楽しめると思います。神社の石段を下りた先の海上の鳥居は前回も観ましたが、これも「リボンの武者」を読んだ後はまた違った感慨。

 

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海上の鳥居

天気はあいにくだったのですが、雨が強すぎないのはありがたかったです。

 

そのまま商店街散策へ。こちらも前回は車でざっと回るだけでした。商店街は各店にキャラクターのポップが置かれ、そこにはキャラクターのスタンプも置かれています。さらにそれぞれの店舗に置かれたキャラクターを推す人達のイラスト色紙などで、各店内が小さいギャラリー状態に。

さらに、タオル、文房具などその店限定のグッズなどもあり、かつお値段もそこまで張らない。特に大久保酒店さんの日本酒「桂利奈」はほかのお店では見られなかったのでほくほくして買いました。

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筆者は桂利奈推し


昼で満腹だったのと、事前リサーチが足りなかったのとで現地で食べたのは「みつだんご」くらいにとどまりましたが、これがまた美味しい。出来立てのあったかいおダンゴですが、普通の団子と白玉との中間くらいの優しい食感。これはまいわい市場でも売られていましたが、現地で食べるとまた趣があると思います。

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チェックインを済ませたあとは「潮騒の湯」へ。これも前回行けなかった場所です。内部はなんてことのないいわゆる地方の大型温浴施設、といった感じではありますが、これもロケ地まんまなので楽しいですね。お湯は海水が地底で温められた化石海水というもので、口に入るとものすごくしょっぱいです。親子連れさんが「飲んじゃだめ」と注意していたのが印象深い。

 

その後は宿泊するシーサイドホテル向かいの旅館の日野治さんで食事。サイトとかには11月からあんこうの季節と書かれてましたが、食べられましたあんこう鍋! 皮も身も肝も食べやすくて素晴らしかったー! 最後にごはんを足してお雑炊にして完食です。

 

その後、コンビニで飲み物とアイスを買って、部屋でみんなでボドゲを楽しんで一日目はおしまい。

 

後編に続きます。

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アマチュア楽団とマネジメントの話

なぜ、吹奏楽コンクールの常勝校は常勝校でありつづけられるのか?

ということを考えてみました。

 

が、前提として言っておかなくてはならないのは、これを書いている僕自身はコンクールに参加したこともなければ、楽団に所属するという活動の数自体がそんなに多くはありません。

正式にコンサートまで参加した、という感覚で考えればせいぜい3団体。

経験した指揮者は20人には達していないと思う、そんな程度のキャリアです。

 

それでもなんでこんなタイトルの記事にしたんか、っていうと、おそらくこれからの十年、自分の音楽活動はそんなに長くならないだろうし、これはマネジメントの話で、マネジメントは気を遣って観てきたし、いまこうして残しておくことで誰かのプラスになったらいいんじゃないかなって思うので、メモっておく次第です。

 

最初の問いに戻ります。……が、その前に、この記事では「コンクールで好成績を出す=巧い」という前提にしておきます。

 

さて、大学や高校の吹奏楽コンクールなんてのはだいたい毎回同じような名前が連なります。

でも、その集団の奏者って三年から四年でほぼ総入れ替えされるんです。学校なので。じゃあ、なんでそれでも常勝できるのか?

 

このことから単純に想像できるのは「合奏の完成度は奏者に依存しない/奏者以外の要素に依存する」ってことです。

これを「巧い学校は巧い奏者が集まるんだ」と反論することはできますが、それは「マネジメントの話をするよ」という前提とずれるので掘り下げません。

でも、実感したことがある人は実感すると思いますが、人は人数が集まるほど個性、個人の能力が集団の性質に与える影響が小さくなります。

 

じゃ、巧拙は何によって決定されるんですか。それがマネジメントだと思いますよ、っていうのがしたいお話です。

 

で、アマチュア楽団におけるマネジメントっていうのは、ほぼほぼ指揮者に依存していると言って差し支えないと思います。

何故か、っていうと、アマチュア楽団の構成員が最も多く指示を受けるのが、演奏指導をしている人物(=少なくとも自分が経験してきた中では、だいたい指揮者)だからです。ほんとうにそれだけです。逆に言えば、何らかの形で指揮者もしくは集団の行動を制御する指揮者以外の第三者がいるか、指揮者そのものに大きな影響を与えるさらに上位の存在があれば、その存在がマネジメントをしていると言うことはありえると思います。ただ見たことはない。そんな存在は指揮者にしとくのがスムーズです。

 

演奏に限った話じゃありませんが、数十人の動きは、その数十人に対して発される「指示」で大体決まります。一人一人の能力なんて影響力は殆どないです。東大生50人集めるのと、公立の高校生を50人集めるのとでも、マネジメントが無ければ「集団」の能力はそんなに劇的な変化はありません。

 

演奏の話に戻ります。指揮者に責任があるんだよ、と言いたいわけじゃなくて、楽団というのは構造上指揮者にマネジメントを依存せざるを得ない形式になってしまっているのです。合奏の時間の支配者を指揮者以外に置いている場合を見たことがありません。

 

じゃあ、その指揮者のマネジメントが上手くなかった場合、指揮者を変えればいいのか? 言っちゃえばその要素はゼロではないと思います。ただ、アマチュア楽団のアマチュア指揮ではナンセンスであると思います。その指揮者が指揮をやることが望まれているからアマチュア楽団のアマチュア指揮は成立していると思うからです。

 

となると解決方法はなにかというと、指揮者の行動そのものを、団全体の責任物として指揮者の人格からある程度のレベルまで切り離し、検討し、変えていくことそのものがいちばん演奏に資するんじゃないすかね、と言うことです。団員に練習するよう強く言ったり、うまい奏者を探したりするより近道なんじゃないか、と思う。

 

プロの指揮者だと、食っていくためには必然やらなくてはならないことだと思います。奏者を好きに取り換えることはできない。成果がなければ食いっぱぐれる。となると、指揮者として振る舞っているその瞬間を使って最大成果を作るしかない。

 

逆にアマチュアの指揮者にその危機感はないし、もつ必要もない。悪い指揮者なら奏者が悪いことにして棚上げも究極、可能。この演奏会下手くそだったのはアイツらが上手くないからだよ、という発言をしたとして、検証が不可能だし、食っていくこととは切り離されている。

 

プロアマどちらでも、指揮者のマネジメントが演奏の出来を左右してしまうなら、そのマネジメントの「技術」は、アマチュア楽団の場合、指揮者個人の巧拙ではなく、集団の取り組むべき課題として取り扱っていくということもできるんじゃないでしょうか。

 

……と、書くと、自分の友人や知り合いの指揮者の方はムっしたり不安になったりすると思うんですけど、つまりは「指揮者」というものがなんなのか、指揮者の立場にない人も研究して、試して、集団全体が高められたらいいよね、っていうお話です。

【ネタバレあり】「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」の話

以下の映画の批判的感想をしていきます。

www.uchiagehanabi.jp

 

ネタバレいっぱいすることになるので、以下はご了承いただいたうえでお進みください。

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アイドルマスターシンデレラガールズ5thライブツアーLVで全部行ってた話

アイドルマスターシンデレラガールズ5thライブツアーにライブビューイングで全会場行きましたよ。

デレマスにのめり込んでいく過程が完全に「ラブライブ!」と同じで、音ゲーから入って、アニメ観て、ライブ行って、っていう順番です。そもそも舞台が好きなのでこういうのに行く精神的ハードルも高くないのが何かと行動を容易にする。

しかし全国六カ所のライブまで含めて全部観るとは思いませんでした。最初はこことここにいけばいいかなーって思っていたのに、どうしてこうなってしまったんだろうか。4thライブは一カ所だけだったのに。

ライブレポなんかはtwitterでイラストが上手な人がいくらでも挙げているのでそういうのは自分からは別にいいとして、今回観ながらずっと気にしていたのは「出演者の負担をコンパクトにしている工夫」でした。誰がどの曲に出演したか、を細かく整理すると、思った以上に一人当たりの練習負担が小さくなるように工夫されているんじゃないだろうか、と。(誰かまとめてくれていたりしないだろうか)

ラブライブは9人しかいないわけで、ソロもそんなに多くなくて、そんなメンバー数であんな過酷なことをよく……と思ってしまうのですが、デレマスは1公演15人、最終のSSAは31人とかで、ソロもユニットも多数なので分散されていて、これはかなりの工夫とともに作られているな、と思っていたのでした。

演出は4thと比べても「驚き!」というのはあまり多くなくて、デレマスというコンテンツ自体の立ち位置の変化みたいなものを感じました。3rd~4thはアニメとともに、作品全体を盛り上げていって、5thはそこから離れて、各アイドルとキャストにまんべんなく光の当たる感じ。メインのお話があるような特別なことはなかったけれども、その分各アイドル、キャストの個性が浮き彫りになっていた。

 

新発表関連ではてっきりアニメ新作、映画あたりがあるだろうって思っていたんですがどちらもなく、ちょっと意外、と思いつつも「お話」自体については漫画(U149、WWG)とかもあるし、いいのか。なんて思ってしまいました。二次創作をする身としてはほっとしたような、燃料が足りないような。それもデレマス、デレステが盛り上がっているからいいのかな。

 

ライブの感想とはすこし離れたところにありますが、SSA2日目終わった後に「one lifeすごくよかったね」と言われて「そうだっけ……?」って思ってました。で、気づいたんですけど自分は「新しいものを見れた」というものに対しての評価がものすごく高くて、同じものを観た場合、前回に洗練がされていてもそこをしっかり比べられていないっぽいです。自覚しよう。

 

しかしこれまでラブライブ! もそうですけどライブ現地に行ったことがないので、今度は現地に行ってみたいなぁ。と思ったのでした。

 

いろいろと、おつかれさまでした。楽しかったー

観たもの読んだものの話 20170814

ずいぶん長い間書いてなかった。

 

メアリと魔女の花

 絶対にジブリの文脈で語られてしまうことを運命づけられてしまった、仕方ないけど誰かが引き継がなきゃいけない運命のアニメ映画。

 内容は面白いです。ふつうの長編アニメ映画として面白いのにも関わらず、絵柄、展開、様々なものにジブリオマージュを感じるわけで、色々なことを考えたうえそれをすることを決めたんだと思うんですよ。

 ただ、宮崎駿という監督そのものが持っている情報量の多さに並ぶというのはものっすごく大変なことで、ジブリっぽい画を作ることでそこの差は明確になってしまう。ほかの長編アニメが特別に宮崎駿監督作品に迫っているかどうかは別として。

 なので、内容もそうだけども「どういう語られ方がされるか」に嫌でも注目してしまう作品となりました。

 一方で宮崎監督はまた長編作るよと言い始めてて、いろんな角度で行く末の気になるスタジオとなったなぁ、という感覚です。

www.maryflower.jp

 

パワーレンジャー

「メッセージ」観てたときに予告に出てて面白そうかも、と思って観た映画。結果としては日米の文脈の違いに終始したという感覚。これはなにか言うべきではないと思うので実際に見て感じてください。

 日本の特撮(子供向け特撮)におけるカタルシスとは全然文脈が違うので、テンションが上がる場面は思った以上に少ないです。これについては日本人がどうこういう話ではないように思う。

www.power-rangers.jp

 

銀魂(実写映画版)

 友達から「たぶんディスク版になったときに挿し代わる映像がある」と言われてなるほどと思い観に行った映画。たしかにこれはディスクではできなさそう、と思った場面多数。

 良くも悪くも「ヨシヒコ」の劇団という感覚。パロディやタブーに踏み込んでいくのは銀魂もそういう作風なので、よくマッチした組み合わせなんだと思う。どちらかが好きならその両側の架け橋としてぜひ。

wwws.warnerbros.co.jp

 

 こっから漫画。けど一冊ごとの感想はしないことにします。どれ新しく読んだか覚えてない。

 年明けからここまでの感想としては、頭一つ飛びぬけているのが「とんがり帽子のアトリエ」で、面白かった「約束のネバーランド」はいまの連載最新の流れを見ている限り、自分がわくわくできるフェーズの外に少しずつ進んでいる感じ。

 ガルパンの「リボンの武者」はキャラクターの多さと連載スピードと作品そのもののこれからの展開から嫌でも一戦一戦は軽く、あとは最終章との絡みが気になるところ。最終章の映像にBC自由学園もあったので期待大。

 ジャンルという意味では「ダンジョン飯」が盛り上がったせいか、異世界×グルメみたいなのが盛り上がっている印象があるけど、すこし冷静に見るようにしているところ。

 これから発売される予定でものすごく期待している、というか連載でいま好きでしょうがないのが「忍ぶな! チヨちゃん」です。キャラのバランスが非常に素晴らしい。たしか10月発売だったかな。よろしくお願いいたします。

この二年間でやっていたことの話

GAMEバンドに関する話題ですが、本筋ではないので分けます。

ここに書くべき話題かどうかも分かりませんが、ここにしておきます。

 

前回コンサートでも(参加時期の問題はありましたが)自分は演奏とMCだけをやっていました。その時の記事はこれ。

 

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その代わりにこの二年間で明確に計画をして、提案をしてやったことがありました。
それは下記の三点です。

・楽譜の締切りを管理し、試奏するという明確なタイミングを設ける
・全尺の音源の提出を必須にする
・練習回数を減らす


どうしてそれをしたかを述べていきます。
すべては、バンドを場として存続させていくために行いました。

 

なぜ楽譜の締切りの管理が必要だったか。
これには明確な理由があります。

 

理由は不満が噴出したからです。
さまざまな企画を盛り込むGAMEバンドのコンサートは基本的に、コンサートの軸となる「委員長」を中心として進めていきます。
この「委員長」の選出は民主的な手法をとっているため、
「みんなで選んだ委員長に従って頑張ろう」が基本的な約束のはずです。

 

つまり、コンサート(および、活動)に対する不満が生じた場合、
それは委員長選出過程に団員全体が関わっている時点で団員全員の責任でもあり、
そこに致命的な問題が生じるならば、団員そのものが不満の芽が出始めた時点であらかじめ声をあげる、方向転換のプロセスを模索する、そういうことが行われるべきだと思うのです。
が、実際にはことは起こりました。それについて語ることは本筋ではないので詳細は省きますが、後段に関係あるので「あった」ということだけ書いておく次第です。

 

不満の分解をしていきました。
結果として行わなければならないと思ったミッションが、合奏の場を最適化することでした。


団員が出せるリソースには限界があります。
特殊なステージはバンドのアイデンティティです。
特殊なステージにリソースを割くほど、演奏に割くリソースが減ります。
この全体のリソースのうち、最もブラックボックスなのが楽譜です。
楽譜が「いつ」完成したのか、「いつから」「どのくらい」合奏できたのかはなににどのくらいリソースを割けるかをはかる重要なファクターのはずなのに、これは最も不透明でした。

 

もちろん当初は「いつまでに完成しよう」という約束を設けていました。
楽譜は期日までに完成しませんでした。
オタマジャクシだけを置いた楽譜だけが出るようになりました。
前日の夜中まで編集をするので、事前に楽譜をさらって練習に臨むことができなくなりました。
楽譜の完成版が出てこないので、パート割りができませんでした。
このままずっと合奏だけをしていました。

 

まず前提として、楽譜を作るのは非常に困難な作業です。
すべての趣味のクリエイトは、趣味の範疇を越えた時点で苦痛になっていきます。
自分も一度楽譜を作るたびにもう二度と作りたくないと思っています。
このラインは人によって様々ですが、苦痛になったらやりたくなくなります。
多くの製作はこうやって頓挫していきます。楽譜に限った話ではない。
でも楽譜がないと我々の活動は成り立ちません。
必然、編曲者に対する圧力は緩くせざるをえず「いつ楽譜が完成するか?」は明確な期限がありませんでした。

 

以上のような状態にも関わらず、練習だけは常に確保されていました。
従前、バンドの楽譜が全て揃ったのは、演奏会のおおよそ半年前。
それにたいして練習をしていた期間はおおよそ一年間です。
この半年間になにをしていたのかは、実に常設楽団として動き出してから8年程度の間、整理されませんでした。

 

もちろんそれに意味がなかったわけではありません。
仲間たちと楽器を鳴らす、これだけで楽しい活動だし、
活動を続けていなければ団員募集もできない。

 

でも問い直しは必要だった。
活動がみんなにとって普通になった頃から、練習が辛いという意見が出始めました。
目標や新規性がないのでやむを得ないことだと思います。

 

実は、一度委員長に「楽譜が整わない前半は、曲以外の合奏をしてもいいんじゃないか」と提案したことがあります。
でも答えは「演奏会のための曲の練習をしてほしい」でした。
これはわかります。委員長の立場なら当然の意見だと思います。

 

さてでは最終的にどうなったか。
合奏の時間は足りなかった。
元から企画していたステージの準備は進められた。
後から難しい楽譜が来た。
演奏に力を入れられないことに対して、ステージが重いことへの不満が来た。
演奏会後、全部やり終えたあとに。

 

前提として委員長と調整をして、OKをもらって、情報を出しながら企画をして、全部終わってから「あれは不満だったね」と言われる可能性があるらしい。
これは恐ろしい事態です。


これが常態化すると、
演奏会企画を立てようという人がいなくなる。
ステージをやろうという人がいなくなる。
バンドはバンドじゃなくなる。

 

構成員は大人になっていくから、リソースは増えない。
意識の中に「このくらいの時間が確保できないと、バンド活動が厳しい」という意識が生まれる。

 

この二つに対処しなくては、近い将来、バンドはなくなってしまうようになる。
なにが問題だったのかをその時に振り返っても、もうバンドはない。

 

一方で、楽譜が遅いことには一切のお咎めはないのです。
楽譜が遅れても、製作が中断されても。
最後に出された楽譜がものすごく難しくても。
それは「そういうもの」として受け入れられる土壌ができてしまっていた。

 

楽譜制作過程を明確にして、一回一回の合奏での時間の使いかたを整備する必要がありました。
覚悟が必要でした。
聖域化している既存の状態を動かしたら絶対に反動があるからです。
ましてや、自分がやっているからわかっている、めちゃくちゃ辛い楽譜製作にスケジュール管理をするというメスを入れるなんて、
究極、一定以上のストレスをかけたら、楽譜の製作そのものが頓挫してしまう恐れだってある。

 

それでもやることにしました。
このまま時間を重ねれば「もう無理だから運営方法を変えようよ」よりも先に「イチ抜けた」の連続が始まり、そもそも人が居なくなる。
それなら多少憎まれたって、変えたほうがいい。
ここに痛みを伴ってもらうことにしました。

 

試奏をこのときにやりますということと、試奏で楽譜のチェックを明確にしてもらったこと、完成したかどうかを明記すること、催促をすること、そういうすべてのプロセスをつけることで「いま、何をしているか」をバンド全体に明確に考えてもらうことにしました。

 

演奏の全尺の音源を提出してもらうことにしました。
これにはもともと、とくに楽譜や合奏に強い人達からの反対がありました。
MIDIで出してもらうには表現の限界があるからです。
でも出してもらいました。人の楽譜に対する習熟度は様々で、楽譜から音がトレースできる人、元の音をきいてからじゃないとできない人、いろんな人が居ますが、基礎能力を一度に高い場所に持っていくことは不可能だと思ったからです。
たとえば今まではメドレー楽曲ではそれぞれの曲のバラバラの音源を聴いて考えるしかできませんでした。
各音源からその箇所を広い聴きして、つなぎを考慮して……自分でもできる気がしません。
表現に差があったとしても演奏の全体を全員が共有できればプラスがあると信じて出してもらいました。

 

練習回数を減らしました。
6thの練習回数はREと同程度、5thの約2/3です。
委員長に無理が言えるのをいいことに無理を言いました。
減らすという話をしているときに委員長の顔が色を失っていったのを今でも覚えています。
練習があれば出なくてはならないという意識が生まれます。生まれるレベルは様々ですが「練習出れないけどまだいっぱいあるしいいでしょ?」という言説は聴いたことがないですが「練習全然出れなくてごめんなさい」はよく聞くからです。
つまり用意された練習回数に十分に出席できないと落ち度を感じてしまう人がいる。
そういう人達のライフステージが進み、大量に用意された練習回数に対して、参加できる練習回数が限られていたら。
たとえば、家族のために時間を割く必要がある人が、練習に出れないというストレスを同時に抱えたら。
それこそ、辞めるしかなくなります。


と、いう対処がこの二年間でやっていたことです。
合奏のリソースを減らすことができたかの評価は人によると思いますのでお任せします。
いつもはこういうことは、今までよくこういう事務の根幹部分を考えていたメンバーと相談して、人に見えるところで詰めて、それからせーので先に進んでいっていました。
今はそれはできなくなりました。そういうことを考えられる人が去り、または去ることを余儀なくされ、自分自身も時間をかけてものごとを詰めるリソースが割けなくなってきました。

 

実行に移している間ずっと考えていたことは、一人は怖いな、重いなということで。
相談はしても皆の目のまえに出るのは自分だけだったから、究極的にはこれが思った通りにいかなかったら、それこそ去らなきゃいけないくらいだろうと思っていました。


それでも、バンドが存続できる方が自分にとっては良かった。
たとえば自分が大失敗して責任をとるような事態になったとして、皆が出会い、支え、楽しんで、人生の一部に数えられる場所が残るならその方が絶対いい。
自分が明確に間違っていて団を混乱に陥れただけの人物であったなら、すぐにでも更迭し追放するために動くべきだ。
と、思っています。マジですよ。


「後段で」と言った話がここに戻ってきます。
このバンドには明確に運営という線引きはありません。
自分は運営という立場ではありません。強いて言うなら企画を提案し実行した立場と言ったところです。
提案にあたっては団長委員長指揮者と相談をして行いました。
このバンドは声をあげ、企画提案したら検討し実行してよいバンドであったと思います。
だから「不満が出る」は変だと思うのです。
不満が見つかったら提案して変えればいい。自分自身が。割けるだけのリソースを割いて。
自分はそうします。

 

このバンドは(というか、学校や組織と紐づいていない多くの楽団は)代替わりはありません。できません。
たぶんこれからは委員長もそんなに数は出て来れません。
そろそろ自分の使える時間に限界が来たから、事務を担当するのが厳しくなってきたな、と思ったら、その事務そのものを廃止/軽減することしかないと思います。
そうじゃないと一抜けたが早い人から責任を回避し続けることになります。
代替わりして事務を担当できるような人なら、自分のバンドを立ち上げます。
是非、リソースをちょっとだけ分けてください。
厳しくなったら、維持するために事務そのものを簡素化しましょう。
自分はそうします。

 

これを書いたのは、自分が割けるリソースも、もう限界に来ているからです。
それでも、まだ先まで、楽しい活動をできるかたちでしていきたいので、ここにおいておくことにします。